皆様は仏教の中に修験道が入っている感じがしているかと思いますが、実際には修験道は役小角が開祖とされる仙人系の「肉体中心修行」とされているので、純粋な仏教とは分離されるべきです。
修験道や山伏などの仙人系は、中国のヨガ系から来ており、仙人道ともいいます。
従って、精神修行を主にする仏教と修験道、仙人道は明らかにその修行の趣旨が違うことがわかります。
また、武道の中でも修験道、仙人道を核にしているものも多く存在しております。
もちろん、仏教系の精神修行を大切にしている武道もありますが、だいぶ少なくなってきている感じは否めません。
仙人道、修験道は「超能力信仰」に陥りやすいために、時代によっては危険視されてきたところもありました。
出口王仁三郎の大本教もそう言った意味で、時の政府から弾圧を受けたわけです。
「超能力信仰」は肉体主義的なところもあるため、お釈迦様が説かれた中道から離れてしまう可能性があります。
お釈迦様も、ヨガ行者の下で難行苦行の修行を数年間しても悟りを得られなかったように、肉体をいじめても仏陀(覚醒者)とならないことを自分の体験で示しておられました。
それでも、人は肉体修行にどうしても気持ちが向いてしまいます。
それは、「肉体を持って生きているから」に他なりません。
今、こうして生きているのは紛れもなく「この肉体」があるからです。
だからこそ肉体は大事にしなければならない乗舟ではありますが、その運転手が自分という魂であるということが分かっていないと、自動車が自分であると思い込んでしまうのです。
カッコイイ車があなた自身ではないのは当たり前の話ですが、なぜかいつの間に「高級車=自分」「豪邸=自分」「地位や名誉=自分」になってしまうのです。