第二次世界大戦におけるドイツに対して、ユダヤ人政治哲学者のハンナ・アーレントは「全体主義」「帝国主義」「権威主義」国家という危険的な体制が存在することを指摘しました。
また、戦後裁判によるドイツのアイヒマン(列車に大勢のユダヤ人を乗せて、ポーランドのガス室収容所に送った責任者)に対して、「悪の凡庸さ」という言葉を使い、同胞であるユダヤ人から多くの批判を受けました。
彼女は「アイヒマンは特別な悪人ではない。役場の職員を連れてこようと、市会議員を連れて来ようと、国家公務員を連れて来ようと、アイヒマンの立場に立ったら、全員同じことをするだろう。やらなかったら処刑されるか、刑務所に入れられるか、自分が今度はガス室に入れらるだけのこと。だから彼が本当の悪ではない。本当の悪は、もっとデーモニッシュ(悪魔的)なものだ。」と捉えました。
「強いモノに巻かれるように、上位者や権力者からの指示や命令に従う事により、人は誰でも悪事と知っていても、その罪を犯しやすい」ということを、彼女は伝えたかったのでしょう。
つまり、「私達は、誰でも第二のアイヒマンになり得る可能性を持っている」と指摘した訳です。
この指摘を否定することは簡単ですが、自分の心の内を振り返った時に、「本当にアイヒマンのように自分はならないか?」という疑念が出て来なければ、本当の意味での「世界平和の実現」はまだまだ遠いような気がします。