執筆者 西村 | 2022年10月30日 | 雑記帳
これを読んで下さっている皆様もきっと同じでしょうが、私も何かする度に大きい小さいはありますが、トラブルが起きます。別に「苦難礼賛」している訳ではありませんが、スムーズに行った試しがほとんどありません。最初のうちは「なんでこんなに壁ばかり出てくるんだ」「自分のやろうとしていることは間違っているから神様が邪魔をしようと思っているのか」等と色んなことを考えましたが、結局お釈迦様が仰っられている通り「因果応報」「原因結果の法則」からは逃れられないと知り、抵抗することを辞めました。すると不思議なことに、気持ちがすぅーと楽になり「あまり先のことを...
執筆者 西村 | 2022年10月29日 | 雑記帳
今現在、生きている私たちは、数限りないご先祖様の命の上に成り立っております。これは神聖なる事実で何人も否定する事は出来ません。また、今生きている私たちは、食事を摂らなければ数ヶ月後の命すら危うい存在です。その食事も多くの命によって成り立っています。毎日、毎日、私たちは生死と向き合っているのです。そうしたことを忘れてしまう私なので毎日「ありがとう、ごめんねノート」を書いています。...
執筆者 西村 | 2022年10月28日 | カウンセリング, 雑記帳
私は趣味で占いを時々やったりしますが、何十年も前に師匠から教わった言葉を今も大切しております。 「立ち向かう人の心は鏡なり」...
執筆者 西村 | 2022年10月25日 | 雑記帳
この言葉は1997年9月5日に87歳で亡くなられたマザー・テレサ修道師の御言です。学校や職場などでも行われている「無視」。この行為そのものが、愛からほど遠い行為であることが、この御言葉からも理解できます。誰にも話しかけられず、話しかけても無視される。「独りでいいさ。」と割り切って生きていたとしても心の奥で何とも言えない悲しみと苦しみが入り混じります。かく言う私も学生時代に「村八分」的な無視攻撃は経験しているので、その哀しみの深さが痛いほどわかります。せっかく同時代に同じ国に生まれ巡り合うことが出来たのに、他人に対して無関心で居ることは...
執筆者 西村 | 2022年10月24日 | 雑記帳
ある人が「人生の目標の一つとして、一生のうちに繰り返し読むべき本、愛読書と呼べる本を500冊持てたら、かなりの教養人である。」と述べていました。500冊の愛読書を見つけるのに、どの位の書籍を読まないとならないのか・・・そう考えると道のりはまだまだ遠し。...
執筆者 西村 | 2022年10月21日 | 雑記帳
トーマス・カーライルの言葉ですが、ときどき「スケジュールがいっぱいであることを自慢する人」を見かけます。こういう人にはこの言葉を送りたいと思ってしまいます。そう言う私が「分刻み人間」だったからです。以前の私はとにかくじっとしていることや嫌で、多趣味な上に寂しがり屋なので常に隣に誰かがいてくれないと駄目な人間でした。でもこうした生活は突然終わりました。いや終了させられたと言ったほうが正確でしょう。仕事中に意識を失い救急車で運ばれたのです。病名は重度の十二指腸潰瘍と胃潰瘍。医者からは、お酒とタバコと大好きなコーヒー止めるように言われました...