執筆者 西村 | 2024年05月06日 | カウンセリング, 雑記帳
「雑草と言う植物はない」とは、植物をこよなく愛された昭和天皇の御言葉ですが、昭和天皇のお人柄が現れたとてもお優しい言葉だと思います。人間は勝手に米や麦など人間に役立つ草花以外は雑草と決めつけてしまいますが、彼らからすると失礼な話です。彼らも日々一生懸命に生きて、あるものは慎み深く可憐な花を咲かせ、あるものはフワフワと綿毛のような種を撒きます。人に対しても「自分に得になる人とならない人を分けている」ようでは、昭和天皇のような優しいお気持ちには決してなれません。仕事に関しても「雑用」と称して、その仕事を拒む新入社員や幹部達がいますが、これ...
執筆者 西村 | 2024年05月05日 | 雑記帳
「欲しい時には与えられず、与えたい時には次の代・・・」が「親の愛」なのでしょう。私達は幼い頃は、お父さん、お母さんの愛が欲しくて堪りません。特に母親からの愛情は、子供が健全に育つためには欠かせないものだと言われます。昔、日本人は母親の事を「カカさま」と呼んでいました。夫が妻のことを「カミさん」と呼ぶのも、この「カカさま」から来ています。「カカ」とは「太陽が燃える様」から来ていると言われ「カカさま=太陽」のことだったのです。つまり母親は太陽であり、妻も太陽であると言うことになります。母と妻を太陽のように敬い、大切に思うことが、古来より日...
執筆者 西村 | 2024年05月04日 | カウンセリング, 雑記帳
「香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となって残ること。」…薫習燻製ソーセージのような感じで、木材チップの煙の香りが染み渡る感じを思い浮かべた方も多いかと思います。知育や躾や模倣など教育には色々な手法がありますが、最後まで残る共育が薫習だと私は思っております。親から強制された訳でもなく、叱られて覚えたわけでもなく、自然自然と身に付いてしまった親の考え方や行動は大人になっても中々変え難いところがあります。だからこそ家庭教育が大切だと言われるのでしょう。逆に言えば、何も大きな声を何回も出さずとも、躾と...
執筆者 西村 | 2024年04月24日 | 雑記帳
私たちは「何気なく生きている」ような気がしていますが、何気なくでは行けていけない存在でもあります。本来ならば「自分で生きよう」と強く思っていなければ、生きる事すら難しい時代を先人達は生きてきました。例えば第二次世界大戦中は、死と隣り合わせの毎日を送っていた事でしょう。ペストとスペイン風邪が流行った頃も「いつ自分も病気になり、この世を去るのか…」と生きた心地すらしなかったかも知れません。コロナが落ち着いた何十年も経った未来人からすると「よく何百万人も亡くなった時代を生き抜いてこれたな」と、私達はきっと称賛されることでしょう。私達は自分の...
執筆者 西村 | 2024年04月23日 | 雑記帳
幾度となく「感謝」をテーマにしてブログを書いてきましたが、「感謝することは大切だ」と言うことばかり言って来たような気がします。しかし「感謝される」という事も、また大切なことであると最近は思うようになってきました。他人に褒めらる事もなく、他人に知られることもない中で、日々淡々と他人の為に自分の時間を使っている方をみると本当に頭が下がります。こうした佳き方々にご褒美はないのか?と問われれば、それは「多くの方からの感謝の想い」だと私は答えたいと思います。もちろん対価を頂くこともあるでしょう。何かのプレゼントをされる事もあるでしょう。でも本当...
執筆者 西村 | 2024年04月18日 | 雑記帳
「経営の悟り」とは大胆なタイトルですが、小さくは「家族の調和」や「町内会の運営」から始まるかと思います。「家族の調和が経営?」と思われるかもしれませんが、どんな組織においても自分独りでは経営しているとは言い難いですが(1人の場合は経営と言うよりは運営に近い)、人が複数集まれば組織となります。組織の運営が経営という事であれば、家族経営と言う言葉も成り立つでしょう。となれば一番小さな組織である家族も、家長にとっては立派な経営に値するのではないでしょうか。この経営で得た智慧や真理は悟りとなる訳ですから、経営の悟りは国家の経営、地球の繁栄にま...