自分の欠点

自分の欠点

他人の欠点は、よく見えるし、誰でもよく分かります。しかしながら、自分の欠点は他人から注意されない限り、分かりにくいものだと言えます。「自分はいつも通り、接しただけ」「いつものように声をかけただけ」と言いながらも、他人を傷つけている場合も多々あります。このように言っている自分も、自分の言動で多くの方を傷つけてきたし、今も傷つけているかも知れない。そう思うと「引きこもってしまった方が良い」と言う気持ちも、分からなくもないですが、逃げてしまったら進歩も成長もありません。他人を言葉で傷つけてしまったら、心から本気の言葉で謝れば良い。自分の言動...
仕えた人

仕えた人

色々な方々を見てきて思うのは「よく人に仕えてきた人ほど、他人を使える事ができる」ようですね。人の気持ちは千差万別。到底、全ての人の気持ちを推し量ることなどできません。だからこそ、より多くの人に仕えたことがある人は、自分に指示命令する人の気持ちが仕えたことがない人よりも分かる、と言えるのではないでしょうか。仕えた人の気持ちが分かると、自分が他人の上に立った時に「ああ、こういう気持ちで他人に対して、指示命令をしていたんだな」と分かり、気を付けなければならない所は注意し、誉めなければならない所は賞賛する様になれるのではないでしょうか。...
三福

三福

お金は一部を貯金し(惜福)、一部を多くの人に分け与え(分福)、一部を将来のために投資(植福)するのが一番よいとされています。いわゆるこの三つの福の事を「三福」と言います。この三福を実行していくと、自然とお金持ちとなり、同時に幸せな環境に恵まれるそうです。...
吝嗇と惜福

吝嗇と惜福

吝嗇(りんしょく)とは、いわゆるケチな事を言います。惜福(せきふく)とは、福を惜しみ、無駄な使い方をしない事を言います。従って、吝嗇と惜福は大きく異なります。また吝嗇の人は顔つきが悪くなり、惜福の人は福相が現れて来ると言います。出来得れば顔は福相の方がいいですね。...
あの人のようには…

あの人のようには…

「あの人のようにはなりたくない!」と言う人がいますが、そう言う人ほど「その人にそっくりになっていく人が多い」と、長い人生を生きてくるとそう感じます。本来ならば「あの様な人には絶対にならない」と誓っている筈なのに、その人のようになってしまうのは何故なのか?考えてみると、どうも「近親憎悪」のようなものらしいことが分かります。「その人に自分の嫌な面を見てしまう」為に、どうしてもその人を嫌悪してしまうけれど「結局は自分にも同じような傾向」あるので、嫌悪した人の人生を歩んでしまうようです。そうならない為には、嫌悪する人を「反面教師」として、自分...
愛と慈悲

愛と慈悲

愛と慈悲は同義語のように使われます。愛と慈悲は「他の人たちをより良くしようとする力」と言う点では良く似ていると皆様も思われることでしょう。ただ、その力の違いを敢えて言うとすると、愛は「仲間同士を引き合う力、共に手を携えて行こうとする力」と言う感じで、慈悲は「上から下へ流れていく力」と言えるかと思います。すなわち、「横の流れを愛と言い、縦の流れを慈悲と言うのだ。」と私は感じています。従って、神仏からの「絶対的な愛」は「慈悲」と言い、友達や男女の間で与えあう場合は「愛」となるのではないでしょうか。...