人生2度目の命拾い

人生2度目の命拾い

21歳の時、大学生活にもようやく慣れてきて友達も出来ました。その友人は渓流釣りが趣味だったので、その年の秋に新潟の山奥のイワナ釣りに誘われました。川釣りは小さい頃からしていたのですが、本格的な渓流釣りは初めてで少し緊張していたことを覚えています。山を登り始めて1時間くらいで釣りポイントに着きました。折しも運悪く前日降った雨のせいなのか、川はかなりの水量と勢いがありました。「こりゃあちょっと厳しいかもね。」と友達は言いながら「他のポイントに行ってみよう」という事になり、水量の比較的少ない所を狙って川を渡ることになりました。先ずは慣れた友...
トラブルや病気があるから成長する

トラブルや病気があるから成長する

これを読んで下さっている皆様もきっと同じでしょうが、私も何かする度に大きい小さいはありますが、トラブルが起きます。別に「苦難礼賛」している訳ではありませんが、スムーズに行った試しがほとんどありません。最初のうちは「なんでこんなに壁ばかり出てくるんだ」「自分のやろうとしていることは間違っているから神様が邪魔をしようと思っているのか」等と色んなことを考えましたが、結局お釈迦様が仰っられている通り「因果応報」「原因結果の法則」からは逃れられないと知り、抵抗することを辞めました。すると不思議なことに、気持ちがすぅーと楽になり「あまり先のことを...
私達の生は多くの命で成り立っている

私達の生は多くの命で成り立っている

今現在、生きている私たちは、数限りないご先祖様の命の上に成り立っております。これは神聖なる事実で何人も否定する事は出来ません。また、今生きている私たちは、食事を摂らなければ数ヶ月後の命すら危うい存在です。その食事も多くの命によって成り立っています。毎日、毎日、私たちは生死と向き合っているのです。そうしたことを忘れてしまう私なので毎日「ありがとう、ごめんねノート」を書いています。...
愛の反対は憎しみでは無く無関心

愛の反対は憎しみでは無く無関心

この言葉は1997年9月5日に87歳で亡くなられたマザー・テレサ修道師の御言です。学校や職場などでも行われている「無視」。この行為そのものが、愛からほど遠い行為であることが、この御言葉からも理解できます。誰にも話しかけられず、話しかけても無視される。「独りでいいさ。」と割り切って生きていたとしても心の奥で何とも言えない悲しみと苦しみが入り混じります。かく言う私も学生時代に「村八分」的な無視攻撃は経験しているので、その哀しみの深さが痛いほどわかります。せっかく同時代に同じ国に生まれ巡り合うことが出来たのに、他人に対して無関心で居ることは...
愛読書を500冊持つ

愛読書を500冊持つ

ある人が「人生の目標の一つとして、一生のうちに繰り返し読むべき本、愛読書と呼べる本を500冊持てたら、かなりの教養人である。」と述べていました。500冊の愛読書を見つけるのに、どの位の書籍を読まないとならないのか・・・そう考えると道のりはまだまだ遠し。...