執筆者 西村 | 2023年07月17日 | 雑記帳
「しょうご」と読みますが、仏教における反省行の一つです。「間違ったことを他人に伝えていないか」「嘘をついて他人を騙していないか」「過度な御世辞を使って惑わしていないか」「他人の悪口、陰口を言っていないか」「二枚舌を使う様に、その場限りの逃げの言葉を使っていないか」など、お釈迦様は言葉に関する戒めを説いておりました。言葉はそれ自体で人を幸せにする事も出来れば、不幸のドン底に落とす事も可能です。だからこそ、自分の発した言葉には責任が伴います。もちろん、メールやコメントなど文章でも同じです。誹謗中傷の特定の個人を刺すような文書は、受け取った...
執筆者 西村 | 2023年07月16日 | 自分史, 雑記帳
反省と言うと「自分が言ったこと、行なったことに対して間違いはなかったか?」「自分の言動で他人を傷つけてしまわなかった?」など、どちらかと言えば消極的な反省のことを言っているかと思います。もちろん自分を磨き、周りの人達との調和を保つ為には、こうした消極的反省もとても大切ですが、その上の反省が存在することはなかなかご存じの方は少ないように思います。「社会や組織に対して、自分は機会があった筈だったのに成し得なかった」「こう言う思いを出すことが出来たのに出すことを躊躇ってしまった」「あのチャンスにこう言うことが出来たのに行動を起こすことをしな...
執筆者 西村 | 2023年07月15日 | 雑記帳
私達は日々、心があっちこっち絶えず揺れ動いております。まるで壊れた天秤のように。神様の目から見れば、私他の心が天国的な方に傾いているのか、地獄的な方に傾いているのかははっきりと見えているのでしょうね。その心の天秤と言う奴は、愛と言う分銅があれば天国に傾き、執着と言う分銅が沢山あれば地獄の方に傾いて行くようです。執着の重りを自分で取り去ることが出来れば良いのですが、なかなか簡単に取り除くことが出来ないと言うのが現状です。それならば、その重りを分銅を周りにいる人達が取り去ってあげれば良い。執着で、嫉妬心で、重く頑なになった心を軽くしてあげ...
執筆者 西村 | 2023年07月13日 | 雑記帳
真珠を創るアコヤガイにとって、最初から最後まで真珠は異物でしかありません。しかし彼らは、体内に入った異物を虹色に輝く真珠に変化させます。私達人間はアコヤガイ以上の存在であるならば、異物や変化をアコヤガイ以上に見事な真珠に輝かせる事が出来るはずです。異物を真珠に育てている時は、痛くて辛くて苦しいかも知れませんが、人生が終わる時に、その異物を真珠のように美しい想い出に変える事が出来たとしたら、どんなに幸せな事でしょう。「自分の人生の中にやって来た苦難困難はムダではなかった」と自信を持って振り返る事がきっと出来るはずです。真珠のような涙を流...
執筆者 西村 | 2023年07月12日 | 雑記帳
「人の幸、不幸は運命で決まっている」と言うのが運命論ですが、果たして本当に生まれる前からその人の人生は決まっているのでしょうか?私は他人に「運命ってあるの?」と聞かれたときには「半分あって、半分ない」と変な答え方をします。自分で決めてきた「人生計画」はある筈なので「半分はあり」でも、残り半分は未確定要素があり「自分の努力次第」だと思っています。自分が何の努力もせずに、人生計画で将来大金持ちになると決めてきたから、大金持ちになれるとしたら多くの人が大金持ちになっていることでしょう。でもそうはなっていない。努力を惜しむ者はそれなりになって...
執筆者 西村 | 2023年07月10日 | 自分史, 雑記帳
私は4度ほど命の危険に遭遇した事があります。何の自慢にもなりませんが、それほど命を大切にしない愚か者だったと言うことですね。w何度か死にかけた私のような者から世の中を見ると「なんでこんなにも不自由そうに生きているのだろう。」と思う人達が結構います。見えない何かに縛られて、しかも自分自身で絡まれに行っているような…生活を送って「生きてることがつまらない」と嘆いています。当然、私も日本国憲法にも社会的なルールにも縛られていますが「死ぬ気になれば、こんなモノいつでも捨ててやる!」そんな気持ちがあるので心はいつも自由です。本来はもっと能力や才...