執筆者 西村 | 2024年12月17日 | 自分史
多くの方が「良い大学に入り、良い就職先に行くための手段としての学問」をやっていたかと思います。私自身もその様に考えていたし、それが当たり前のような時代でした。しかし今還暦も過ぎて永らく生きていると「手段としての学問は本当の意味で身に付いていないのではないか」と思えるのです。この世的な知識とテクニックで、暗記したりしながらマスター出来るような学問は、勉強していても喜びを感じません。しかし「自分が知りたいと思うことや、自分の心が欲するもの」を勉強すると、楽しさと共に喜びを感じます。「勉強そのものの中に力がある。楽しみがある。」と言うことを...
執筆者 西村 | 2024年11月19日 | 自分史
「真理の布は一本の糸で織られている」と言う言葉がありますように、アインシュタインも「解決策がシンプルなものだったら、それは神の答えである」と仰っています。その単純なものを難しく考えてしまうから、人間の遠回りは始まってしまったような気がします。私は祖母から「かみさまは、いつでもどこでもみとるから、わるいことしても、おみとおし。」と良く小さい頃に言われました。祖母は、自分自身が小学校すらまともに出てないことを、とても後悔しておりましたが、戦後の時代だったこともあり、仕方がない状況ではありました。それでも彼女は、なけなしのお金で古本を買い、...
執筆者 西村 | 2024年10月15日 | カウンセリング, 自分史
日本人の多くが利口な人になってきたようですね。利口な人は、頭の回転が早いし、仕事も早い、情報収集能力にも長けていて色んな事を知っている…でも、いつでも自分本位、他人は他人。所詮自分のことは分からないし、分かろうとしない…そんな一見賢い人が増えてきている気がします。宮沢賢治の中に出てくる「でくのぼう」は全く反対の人物です。欲はなく、いつも静かに笑っていて、自分を勘定に入れず、病気の子供がいれば行って看病してやり、日照りの時には涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩く…そんな「でくのぼう」は、今の世の中だとアホだバカだと言われてしまうのでしょう。...
執筆者 西村 | 2024年09月23日 | カウンセリング, 自分史
自分にとって楽しいと感じることが何かを、明確に答えられない人達が多くなっている気がします。「こんな事で悩んでます。苦しくてしょうがないんです…」と言う方々に「あなたがワクワクすること、楽しいと感じることはありませんか?」と質問すると、6割くらいの方々が「何が楽しいかも分からないんです」とお答えしてきます。自分自身がどうすれば喜ぶのか、何をすれば楽しいと感じるのかが、自分でも分からなくなってしまっているようです。だからギャンブルにハマってみたり、不倫行為に走ってみたり、薬物中毒になってしまったりするのでしょう。「本当の心の楽しみ」の代替...
執筆者 西村 | 2024年09月19日 | 自分史
「男はつらいよ」の中で寅さんは、愛についてこのように答えています。「最初はイイ女だなぁと思う。その次には、話をしたいなぁと思う。その次には、もうちょっと長く側にいたになぁ思う。そのうち、なんか気分が柔らかくなってさ。あゝこの人を幸せにしたいなぁと思う。この人のためだったら命なんかいらない。もう俺死んじゃってもいいと思う。それが愛ってもんじゃないのかい?」この場面を観ていて、なんだか涙が出て来てしまいました。「そうそう、そんな素朴に人を愛していたんだよなぁ・・・」寅さんの言う愛を忘れてしまった自分に、涙が出てしまったのかも知れません。皆...
執筆者 西村 | 2024年09月06日 | 自分史
「またお逢いしましょうね」と言って別れてから、何年も何十年も会っていない方はいませんか?私には数えきれないほど、お逢い出来ていない方がおります。名刺の数も10,000枚近くなって来ると、2度目がお逢い出来ない人の方が多くなって来ている気もします。数年前に一度お逢いしたきりでお話も出来ていない人がいるという事実を想っただけで、一期一会の大切さを痛感します。中には既にこの世を去ってしまって、会いたくても、連絡を取りたくても、会えない、お話も出来ない人達もいらっしゃいます。そんな時に「目の前にいる方と、もう会えないかも知れない。」そう思いな...