正義感

正義感

意外な話かもしれませんが「正義感」と「嫉妬心」は、親戚どうし様に似ているところがあるかと思います。「その人の間違いを正そうとして言うのよ」と言いながらも心の何処かでその人の成功が妬ましい。そんな気持ちがあったことがないですか?特に他人を批判、批評する時に「その人に対して正義感から言っているのか?妬みから言っているのか?自分の心を見つめてみると良い」と言われたことがありますが、自分の心の中を冷静に見つめた時に「自分だって上手くやれたのに何故この人が・・・」と言う気持ちがあることを発見したこともあります。正義からの言葉と嫉妬は、本当に紙一...
片想い

片想い

私は「片想い」と聞くと、次のイメージを思い浮かべます。「深く、静かに、耐えて愛す・・・」人を好きになる事は良くある事かも知れませんが、人を愛することは難しい。その人のことを毎日考え、その人の気持ちを推し量ろうとします。でも、その人は自分の恋心に気付いてはいない。そうなると「両想い」という状況は中々来てくれません。必然的に「自分自身が恋している人に想われる」と言う事はないので、ただひたすらに耐えることになります。最近は、この「耐える想い」が自分でコントロール出来ない人がいるようで、ストーカーのように付き纏い、メールや手紙を送りつけたりす...
人物

人物

「この人は人物だなぁ」と言う人には、なかなか滅多にお目にかからないけれど、長く生きていると何人かは尊敬出来る人と巡り合うことが出来ます。私にも心から尊敬できる人が数人おりますが、その方々に共通していることがあります。それは「親を大切にしている」という事です。決してファザコン、マザコンであると言うことではなく、世間的に見てもどんなにどうしようもない親であっても、その子供たちが「親が立派に見えるように振る舞っている」と言った方が正確な表現かも知れません。と言うのも、子供達が立派になればなるほど「あの方の親御さんだから、さぞかし立派なのだろ...
学力

学力

60歳を超えて来ると周りの人達も「いまさら勉強と言うものねぇ…」と改めて新しいことに挑戦する事を躊躇する人が多くなります。仕方がない事とは思いながらも「人生100年」と思うと、まだまだ頑張らねば…と言う気持ちも出てきます。刀も研いでいなければ錆びるように、学力も鍛えていないと錆びてしまいます。という事で私も自分自身に鞭を打って、毎日例え15分でも語学の勉強をするようにしております。笑たかだか15分の小時間でも、月にすると450分、年間で5,400分、実に90時間にもなります。学力もコツコツ磨いていけば、切れ味はいつまでも変わらないと信...
小恍惚感

小恍惚感

歴史的に名を残した偉人たちの多くが、この「小恍惚感」を味わっているようです。例えばイエスキリスト様、お釈迦様、孔子様、ソクラテス様の4大聖人はもとより、坂本龍馬、西郷隆盛などの志士たちもピーク・イクスピリアンス(小恍惚感)を体験していたようです。この小恍惚感は悟りとはまた違う感覚のようで、「幸福感」「安らぎ感」とかに近いかもしれません。何の気なしに夕日を見つめていた時に自然と一体となった感じがして「なんて心地が良いのだろう。このままでいたい・・・」そんな気持ちになったことがありませんか?その感覚は時と場所を選ばないようです。私は60才...
他人に頼る

他人に頼る

「何でも自分で何とかやってやる」そう思う気持ちは、克己心や自助努力の精神を養う上でとても大切な事ですが、行き過ぎると「利己心」に繋がっていきます。「自分が、自分が」の世界は自我の世界と結びつき、周りから孤立させられるだけでなく、仕事自身も進まなくなります。何でもかんでも他人に頼るのは良くないけれど、本当に困った時には「助けて下さい」と言える勇気も必要です。何故なら、お互いに助け合う為に神様は多くの人間を創られたのだから。「子供たちよ、仲良く調和し、発展繁栄していきなさい」という想いで、私達と地球を創ってくださったのだから。...