子供

子供

子供を持つ親達は皆んな「自分の子供が無性に可愛いのが当たり前」と思っているかも知れませんが、そうでもないと私は思っております。こんなことを言うと「親として最低だな。親の資格もない。」と言われそうですが、現実として自分の子供であっても「可愛い時もあれば憎たらしい時もある」と言うのが本音だと思います。同じように子供達も自分の両親だからと言って、いつもいつも尊敬し頼り愛している訳ではないかと思います。親は子供が必ずしもいつも可愛いわけではないし、子供は親を必ずしもいつも頼りにしているわけでもない。そんな関係でも子供は独立心を持った大人に育ち...
親の愛情

親の愛情

今では死語になってしまった感がありますが…私は「鍵っ子」でした。両親とも別々の仕事で自営していたので、幼い頃はいつも一人で遊んでいました。その時の感情までは思い出せませんが、当時は寂しいとは思っていなかったような気がします。その気持ちは、弟が生まれ、彼が話が出来るようになるまで続いていたかと思います。弟と遊べるようになって初めて「一人で遊ぶのは寂しい」と言う感情が湧いてきた気がします。私達の面倒を見てくれたのは、近所のおばさんたちだったので、直接の親の密接な愛情は受けていなかったかも知れませんが、両親が自分達を大切に想ってくれているの...
醜美

醜美

「醜いものが美しく見え、美しいものが醜く見えている間は、まだまだあなたは青春の何処かを彷徨っている」そんな詩がありましたが、情けない事に夜の街に繰り出せば、還暦になった私にさえ見えなくなってしまいます。(笑)心を隠す事が上手な人に掛かれば、大抵の人は簡単に騙されてしまいます。だからこそ、心素直に正直に生きている人の周りには、人が集まってくるのでしょう。何故なら「騙されないと分かっている」から、その人といると安心して、気持ちが楽になるから一緒にいたくなります。出来れば人生の早い段階で、審美眼を鍛えておけたのならば、その後訪れるであろう多...
天使

天使

成功している人達を観ていると、本当に天使のように輝いて見えます。「あの人のようになりたい。あの人のような成功者になりたい。」そう心の中から思います。しかし、そうした天使のように見えた成功者であっても失敗もします。羽が傷つき地表に落ちてくる時もあります。その時に、成功していた時のように、その人が同じように天使に見えるかどうか…ここが、その人が本当に天使であったかどうかが問われるところになると思います。羽が傷つき地に降りた天使…それでも元気に地を歩き、人々に笑顔を振り撒き、傷が癒える時を待てるのか…ここが正念場であり、試されている時でもあ...
偽我

偽我

偽我(ぎが)とは、蝶に似た蛾のように、本当の自分を知られたら皆んなにガッカリされる自分の事だと思います。だからこそ、他人に嘘をつかないように、自分の心にもウソをついてはいけないのですね。だからと言って、自分の思う通り、ワガママに生きた方が良いと言っている訳ではなく、偽物の自分を作らないように努力すれば良いのではないでしょうか。他人によく思われたい気持ちは誰にでも有るものだから、そこは否定せず、ありのままの自分を見られても恥ずかしくない自分作りをすれば真我(しんが)=「本物の自分」になったと言えるのでしょう。...
平凡人

平凡人

「褒められた時のみ信じ、否定されると恨むというのは真の平凡人」と言う言葉がありますが、私も含めて殆どの人がそうかも知れないですね…人は誰でも褒められれば嬉しいし、否定されれば残念に思います。しかし褒められてウキウキしても、その人の褒め言葉を疑うよりはマシでしょう。また否定されても動じない心は、信念を持って生きている証拠でしょう。平凡人であることは別にいけない事ではないと思いますが、世の中皆んなが平凡人であってはいけない気もします。やはりリーダーとなって上に立つ人には、出来る限り平凡人であって欲しくないと思うのは私だけでしょうか。...