執筆者 西村 | 2022年11月08日 | 自分史
その日は金曜日で、久しぶりに実家に帰るつもりで、早めに会社から出ました。一週間頑張ったと言う安堵感と疲れも少々ありました。139号線を富士宮市街地に下って順調に走っていました。ゴルフ場近くに差し当たった時に、右側の細い路地から急に車が勢い良いよく飛び出して来ました。ほんの数メートル手前で起きた出来事なので、とても避けきれず、当然2台の車は激突。飛び出してきた車も横向きにスライドしながら大破。私のカローラツーもフロント部分はメチャクチャ。その頃はまだエアバッグが標準装備ではなかったので当然付けていませんでした。警察を呼んで、救急車も呼ん...
執筆者 西村 | 2022年11月03日 | 自分史, 雑記帳
私は小学校時代から中学校まで、父母を始め多くの方に迷惑をかけてきました。やんちゃだったと言えば聞こえが良いですが、乱暴なことも随分してしまいました。例えば小学校の池の鯉を釣り上げ、池の淵に並べて死なせてしまったり、氷水で冷やした雑巾を先生にぶつけてみたりと、やりたい放題でした。中学校の時は、野球グランドを仲間と自転車で走り回り、せっかくトンボをかけたグランドをぐちゃぐちゃにして、駆け付けた生活指導の先生とグランドで一時間以上にらみ合ったりと、...
執筆者 西村 | 2022年11月02日 | 自分史, 雑記帳
21歳の時、大学生活にもようやく慣れてきて友達も出来ました。その友人は渓流釣りが趣味だったので、その年の秋に新潟の山奥のイワナ釣りに誘われました。川釣りは小さい頃からしていたのですが、本格的な渓流釣りは初めてで少し緊張していたことを覚えています。山を登り始めて1時間くらいで釣りポイントに着きました。折しも運悪く前日降った雨のせいなのか、川はかなりの水量と勢いがありました。「こりゃあちょっと厳しいかもね。」と友達は言いながら「他のポイントに行ってみよう」という事になり、水量の比較的少ない所を狙って川を渡ることになりました。先ずは慣れた友...
執筆者 西村 | 2022年11月01日 | 自分史
初めて命の危険を感じたのは9歳の時でした。通っていた小学校近くの工事現場で、立ち入り禁止の看板を無視して、造成現場で友達3人と遊んでおりました。これから保育園を建てるという事で、地面をかなり掘削して2~3メートル以上はあろうかと思われる大きな石がごろごろしておりました。そんな大きな石があるその光景が、その頃はやっていた仮面ライダーとかで出てくる怪人達をやっつける場所に似ていて、友達みんなでライダーごっこをしていました。私は怪人役で友達の仮面ライダーのキックを浴びて倒される役でした。「ライダーキック~!」と友達に蹴られた拍子に、私は傍に...
執筆者 西村 | 2022年10月09日 | お客さまの声, 自分史, 雑記帳
よくしたもので体がなまってくると、頭もぼんやりとしてきませんか?「知的な生活をしている人は、ちゃんと身体も動かしている。」ようです。作家さんでも、立て続けにヒットを飛ばすような方になると「ホテルに缶詰め状態」ではいられないようで、違うことや外に出てみたくなるようです。これは売れっ子の漫画家さんでも同じようで、合間を見つけてジムに通ったり、自宅にトレーニング室を作ったりしている方もいらっしゃるようです。やはり知的財産をアウトプットとしていく為には、身体のシェイプアップも必要となるようで、散歩やジョギングすると脳内が再度活性化され、情報の...
執筆者 西村 | 2022年10月08日 | 生前葬(感謝の会), 自分史
生前葬って言葉、考えてみたらおかしな言葉ですよね?生前にやるお葬式だから生前葬なのかもしれませんが、そもそも生前って言葉は「亡くなった後に故人に対して使う言葉」で「故人が生きていた時。」と言う意味だから、違和感を感じたのかもしれません。例えば「存命葬」「生きている葬(いきているぞう)」「ピンピン葬」とかの言葉の方が良い気がしてます。まあ、言葉はどうであれ、要は「生きて命がある時に、自分の人生の区切るをつけよう」と言うことではないかと私は考えております。 感謝奏(かんしゃそう)=感謝と言う楽器を、お互いに奏で、与えあう...