ごめんなさい

ごめんなさい

「ごめんなさいと言うと負けた気がする」と言う人がいますが、本当に謝罪したら負けた事になるのでしょうか。「自分は悪くない。誰が見てもこの状況は私の責任で起きたことではないので、私が謝る必要性はない」と強く主張する方もおります。確かに仰る通りなのかも知れませんが、裁判所でもないのに、その主張を押し通して何かを得ることが果たして出来るのでしょうか。自分の主張が正しいことを証明できる?自分の責任じゃないことが立証できて周りの人に褒められる?こうした考え方とは別に「こう言う事態になったのも自分の不徳ゆえ」と思えたら、「成功への一歩を進めた」と私...
スプーン

スプーン

「どんなに美しく高価なスプーンであっても、スープの味は分からない」こんな事を言った方がおりました。確かにスプーンは食べ物を口には運ぶことが出来ますが、どんなに美味しい料理であっても味合うことはできません。「ただの道具となるな。自分の仕事を自分の心で味わえ」と言っている様に私には聞こえます。私たちはともすればスプーンの様に、皿から口へ移動するだけの心無い仕事をしてしまうことがあります。また相手の気持ちも考えず、言葉を発し、相手を傷つけてしまうことも多々あります。私達は心ある人間なのだから、ただのスプーンになってはいけない筈です。スプーン...
優しい

優しい

「優しい」と言う文字は「人に憂う」と書きます。「憂う」とは、他人の気持ちを気遣い、推し量ることを言います。他人の立場になって物事を考えることができることこそ「優しさ」なのですね。本当に優しい人は、行動の前に先ずは「愛の気持ち」があります。目立つ優しさより、された相手も気がつかないような優しさを実践している人が、陰徳のある「本当の優しい人」だと私は思います。また、そう言う人ほど優秀な方だと思います。「優れる」とは「優しい」と同じ字を書きます。例え良い学校出ていなくても、秀れた技術を持っていなくても、「本当に優しい人」が「本当に優れた人」...
小恍惚感

小恍惚感

歴史的に名を残した偉人たちの多くが、この「小恍惚感」を味わっているようです。例えばイエスキリスト様、お釈迦様、孔子様、ソクラテス様の4大聖人はもとより、坂本龍馬、西郷隆盛などの志士たちもピーク・イクスピリアンス(小恍惚感)を体験していたようです。この小恍惚感は悟りとはまた違う感覚のようで、「幸福感」「安らぎ感」とかに近いかもしれません。何の気なしに夕日を見つめていた時に自然と一体となった感じがして「なんて心地が良いのだろう。このままでいたい・・・」そんな気持ちになったことがありませんか?その感覚は時と場所を選ばないようです。私は60才...
いってらっしゃい

いってらっしゃい

「いってらっしゃい」の言葉には「無事に帰ってきてください」との意味が込められ、「いってきます」には「必ず帰ってきます」と言う想いが込められているそうです。だから「おかえりなさい」には「約束を守って帰ってきてくれてありがとう」の意味が込められています。「ただいま」には「約束を守って帰って来たよ」の気持ちが刻まれています。朝の挨拶を交わしたその日に、不慮の事故により、そのまま帰らない人となった悲しいお話を聞くと、本当にこの挨拶の大切さが心に沁みてきます。だからこそ、皆さまに『いってらっしゃい!』...
生きている

生きている

私達は「自分の人生だから自分一人で生きている」そんな感覚で毎日を過ごしているのかも知れません。でも、実際のところ自分一人では生きていけない事ははっきりしています。昨晩から今朝まで寝ていた寝具も自分が作った訳ではなく、誰かが作ってくれたからぐっすりと眠れました。朝食に並んだご飯も、味噌も、卵も、納豆も自分が作ったものではありません。誰かが働いてくれて今目の前に食事として命を差し出してくれています。満員電車で嫌だと思って通う会社も、電車も、無くなってしまえば、通勤にも生活の糧にも困ってしまいます。私達は周りの人達のお陰で、奇跡的に生かされ...