民主主義の中には2つのベクトルがあると言われています。
一つは「自由」に向かう民主主義であり、もう一つは「平等」に向かう民主主義です。
自由を求める民主主義は、アメリカで生まれ発展しました。
「人は生まれながらの血筋や家柄に関係なく、なりたいものになれる自由」
「人は行きたい所に行き、したい事を行える自由」
そうした自由を大切に思い、育てて来た国がアメリカでした。
かたや「平等に向かう民主主義」は、共産主義的な考え方や、全体主義的な流れを生んでいきました。
「貧富の差が激しくなることは、民主主義的に許されることではない。人間は平等なのだから、結果においても平等でなければならない。」
「あるものが優秀で、あるものが劣るのであれば、劣るものに優しく在らねばならないから、劣る者の結果に合わせよう。」
そんな「平等と公平」を一緒にしてしまった民主主義こそが、平等に向かう民主主義であるといえます。
「それの何が悪いのか?」と、問う人達もいることでしょう。
しかし結果平等の社会は、努力精進する者が居なくなる社会でもあります。
努力してもしなくても、結果が平等にされるのであれば、人は努力しない方向に流れて行ってしまうからです。
