私達は出会ったり、本を読んだり、ネットで学んだことを、さも自分が考えたことの様に喋る人を軽蔑するところがあったりしますが、私は「人の褌で相撲をとっても良い」と考えるほうなので、「そういう事があってもいいんじゃない」と考えます。
例えば「〇〇さんが、こんな良いことをお話ししてくれた。何処かで話す機会があったら皆んなにも伝えよう」と思うことは決して悪い事ではない気がします。
自分が気持ちが、その言葉の何処かに共感したから「良い言葉だ」と思ったのでしょう。
それを「猿マネ」だとか「所詮は自分の考えたことじゃない」と批判する人がいますが、自分で考え付くことには限りがあります。
どんな天才でも一生、ずっと独自の考えだけを発表できる様な人は、きっといないことでしょう。
私は、もしその様な人がいたら「その人はきっと、枯れるのも早いだろうな」と思ってしまいます。
まるで花瓶の中の花のように、暫くの間は綺麗な花を咲かせることが出来たとしても、根をはって土から養分や水分を取っているのではないから、やがてはどうしても力尽きてしまいます。
しかし、土の中で根をしっかりとはっている草花は長持ちします。
その花もやがては種を作り、枯れていくでしょうが、花瓶の花よりは長持ちすることでしょう。
この土の中に根をはる行為こそ「他の人からの知識や知恵をいただく行為」に他なりません。
どんな養分でも、ただ吸い取る訳ではなく、自分にとって必要と思われる養分と水分だけを吸収して、自分のものとしていきます。
それこそが「他の人に対する共感」だと思います。
だからと言って「良い話だなぁ」と他人の話で思ったことを、「自分が考えたことです」とウソを言うのは詐欺的行為ですが、「〇〇さんからこう言う事を聞いたのですが、素晴らしいと思いませんか?」は、自分が素晴らしいと共感したのだから、何処かに自分と同質なものを感じたからに他なりません。
それはウソでもなく、猿マネではもない「自分が共感した、みんなの智慧」なのだと思います。