良妻賢母の鑑として、山内一豊の妻である「山内千代」が時折挙げられます。
彼女は、安土桃山時代の浅井家家臣の娘で、父が討死した後、美濃の不破氏の養女となりました。
その後、一豊の母に仕えて、その気性の良さを認められ、嫁に見込まれて一豊と結婚し、1585年に長浜城城主夫人となり、のちに大阪に居住しました。
1600年になると、夫の一豊は徳川家康に従って会津に出陣していたのですが、千代は夫のもとに石田三成の挙兵を知らせ「自分は人質になれば自決する覚悟なので、心置きなく徳川家康様に忠誠を尽くすように。」と助言したそうです(「笠の緒文」の逸話)
また、千代が若い時の逸話として次のような話もあります。
一豊が、目に留めた名馬を欲しいと思った時に「夫の大事な際に使え」と実家から言われて持参した黄金十枚を用立て、その後の馬揃えで織田信長に認められて、それが一豊の出世のキッカケとなった「馬揃えの逸話」は良妻賢母の話として特に有名です。
千代の一豊に対する献身さは、立身出世を目指す現代のサラリーマン諸氏には、羨ましいことかと思います。