執筆者 西村 | 2023年07月22日 | 雑記帳
愛が撒かれた時、様々な所でその愛は芽吹き成長して行くことでしょう。でも時には、その場で朽ち果ててしまう事もあるかも知れません。でも、それでも人は愛の種を蒔き続けてきました。それは「愛は発展に繋がる」と分かっていたから。「他人に善かれ」「社会に貢献したい」そうした想いがあるから、人は愛の種を撒き続け、愛を育んで来ました。それ故に愛が死んだ時、発展は抜け殻となります。愛が死んだ時、発展は人の住まない家となります。発展と言う名の他の建物の中に住まうのは、愛と言う高貴なる存在ですある事を忘れてはいけないと言う事でしょう。...
執筆者 西村 | 2023年07月21日 | 自分史, 雑記帳
風は確かに吹いているけれど、つかんで見せることは出来ません。風は確かに私たちの心を爽やかにしてくれるけれど自分のものにする事は出来ません。風とはなんて愛に似ているのでしょう。愛は確かに存在するけれど「これが愛です」と取り出して見せることはできません。でも愛を受け取った瞬間に、心が温かく幸せに満ちてきます。もし風の中に砂粒が含まれていたり、極端に熱かったり冷たかったりすれば、その風は私たちにとって心地好いものとはならないでしょう。愛もその中に、自己中心的な考えや、執着的なものや、ギブアンドテイク的な考え方が入っていたら、決して心地好いも...
執筆者 西村 | 2023年07月20日 | 自分史, 雑記帳
「後悔は過去を変えようとすること。」と言いますが、それでは「反省」と「後悔」はどう違うのでしょう。反省とは、失敗から何かを学び取ること。「今回のミスは、私の準備不足から起きたこと」「このトラブルは元を辿れば、あの事をしっかりとクリアしてなかったから」などと過去を振り返り、原因を掴み、次回に対して原因と対策をして行く。後悔は過去を悔やむだけで将来へ繋ぐ意思を持っていないのですが、反省は常に先を見ています。だからこそ「反省は未来を変えていくこと」となるのでしょう。...
執筆者 西村 | 2023年07月19日 | 雑記帳
「私はこうして生きてきたから、これからもずっとこのまま生きて行く」「私は独りで何でもやってきたから人の助けは借りない」「私がこうして成功したから、あなたも私と同じようにすれば良い」など、人生経験が増えると新しいことや冒険はしたくなります。でも、心にあまり柔軟性がなくなると、まるで心が陶器のボールのように固まり、何に対してもワクワクしなくなり、楽しくなくなってしまうようです。まるで陶器で出来たボールが、少しも弾まず直ぐに壊れてしまうように…逆に、スーパーボールのように柔軟性があると、良く弾み、変形はするけれど中々壊れる事はありません。「...
執筆者 西村 | 2023年07月18日 | 雑記帳
感謝の気持ちを持つには「自分がどれだけ生かされているか」を知る事が必要です。人はどんなに強がっても自分一人で生きて行く事は難しい。無人島で強制的に独りで生活をさせられない限り、現実的にたった一人の力では生きて行く事は出来ないでしょう。また感謝した事がない人には愛が分からないでしょう。「人を愛した事がないと言う人」は「人に感謝した事がない」人とイコールかもしれません。或いは「人を愛したことがないと言う人」は、人と言わず、天地万物に感謝した事もないでしょう。感謝と愛とは表裏一体です。「自らが多くのものを与えられる生かされている」と言うこと...