科学と宗教

科学と宗教

今の多くの科学者は、見えざるもの、神の存在を信じようとしないどころか否定する事で、自分が科学者である事を証明しようとします。宗教者は、唯物的な事を否定する事で、神の存在を絶対的なものへと昇華しようと躍起になります。しかし、お互いにお互いの主張を声高に叫べば叫ぶほど、平行線を辿り接点は遠くなっていきます。アインシュタインは「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である。」と言い残しました。ニュートンもガリレオもコペルニクスもメンデルも多くの優秀な科学者は信仰深い人が多かった事も事実です。もはや科学と宗教...
してもらったこと

してもらったこと

私もそうですが、人は「してもらった事」よりも「してあげた事」を強く思うようです。例えば、仕事仲間が大変だった時に手伝ってあげたこと、道に迷い困っている人を助けたりしたこと、妻や夫や恋人が悲しんでいる時に寄り添ってあげたこと…その人に優しくしてあげた事はよく覚えているのに、仕事でアップアップの時に手伝ってくれた同僚の優しさ、親切に道案内してくれた見知らぬ人、苦しくて悲しくて世の中が嫌になっている時に「大丈夫!一緒に頑張ろう!」と言って励ましてくれた大切な人のことを忘れてしまいがちです。誰かに何かをしてあげた時に、貸し借りを考えると全ては...
使命を発見するには

使命を発見するには

人には使命(命の使い方)があります。天命と言う人もいるけれど、天命は「天から与えられた使命」と言う意味があり、この天命については凡そ殆どの人に変わりはありません。多くの人の天命は「他人を助けること」「世の中を良くする為に生きる」この二つの範疇に入るようです。何故なら先ほどお話しした通り、天命は神様から与えられた使命なので「あなたの魂を創った理由」が天命になるからです。ですので、殆どの人の天命は「人を幸せにする」「世の中の発展、繁栄のため」に入ってくるようです。しかし使命となると、今回の命の使い方となるので、発見するのに時間が掛かってし...
幸せの波

幸せの波

「人生は糾える縄の如し」とはよく言ったもので、幸不幸は波のように交互にやって来るようです。私もそうですが、人は誰しも「幸福なことばかり続けば良い」と思いがちですが、幸福な事ばかり続いていたら、きっと幸福に鈍感になり、側から見れば幸せな事も、その人にとっては何も幸せを感じなくなってしまうことでしょう。そうなったらある意味不幸の始まりかも知れません。幸せの麻痺状態の人にとっては、人生は味気なくつまらないものとなってしまいます。やることなすこと上手く行けば、それはそれで楽しい人生かも知れませんが、そんな人生を映画にしたらきっと観客は見にきて...
偶然と必然

偶然と必然

私達は幸運については「偶然でも起きてくれる」事を願います。他人の不幸な出来事については客観視出来るので「ああなったのは自業自得だ。必然だよな。」と言う事が多いかと思います。でも本当はその逆なんです。幸運は必然によって生まれ、不運は偶然によって生まれます。「は〜何言ってんの?」と言われてしまいそうですが、ご自分の幸不幸をよくよく思い返してみると分かる人には分かるかと思います。いつも幸運に恵まれている人達は、何にでも粘り強く、物事に対して素直で、失敗からでも何かを学び取っています。ですから彼等にとって幸運はなるべくして成っている必然なので...