執筆者 西村 | 2025年09月04日 | 本当の終活
「悟り」と言うと皆様は、どんなことをイメージするでしょうか。「お坊さんが修行している」とか「坐禅を組んでいるとか」そうした、仏教関係者が何かを精進している姿が想い浮かぶかも知れません。しかし「悟り」は、日常的に私たちの中にもあるとされています。「こう言う態度をとると、他人は喜んでくれる。」とか「人間社会は、こうした原理原則で動いている。」とか、その人が経験や智慧から学んだことが「悟り」のように感じられる時もあります。その感覚は、あながち間違いではないかも知れません。但し、その悟りにも段階があります。仏教ではその段階を「預流(よる)」「...
執筆者 西村 | 2025年06月07日 | カウンセリング
人生において、人それぞれに様々な目的があるかと思いますが、多くの方に共通する目的として、私は「智慧の獲得」をあげたいと思います。それでは「智慧とは何か?」と問われたら、私は仏教で言う「悟り」若しくは「真理」と答えるでしょう。だからと言って、難しく考え過ぎることはないかと思います。例えば、これまであなた自身が得た知識と経験を材料にして、人格を練磨して得た「考え方」や「教え」が「智慧」だと私は思っています。だからこそ、この智慧はどなたにお伝えしても、ためになる教えにもなるし、人生においての参考書にもなり得ます。文殊菩薩は右手に剣、左手に経...
執筆者 西村 | 2025年01月31日 | 雑記帳
顛倒妄想(てんどうもうそう)は仏教用語ですが、般若心経の中にも出てくる言葉なので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。意訳すると「価値観が、ひっくり返っていて、正しいと言うことが間違っていると思い、間違っている事が正しいと思っているさま」と言えば分かりやすいでしょうか。もっと簡単に言うと「賢い人」を「馬鹿な人」だと思い、「馬鹿な人」のことを「賢い人」だと妄想している様子のことを指します。しかしながら、この判断には「自分の物差し」や「他人の物差し」が使われるため、日々物差しを磨いていないと判断がつかなくなって来ます。いや寧ろ、顛倒妄想...
執筆者 西村 | 2024年01月12日 | お客さまの声, カウンセリング
世の中には「私は悟った」と言う人が時々いらっしゃいます。「本当に悟ったとするならば、本当の悟りはそこからスタートする。」と私はメンターから教えていただきました。「悟りの入り口に立つことは年齢や経験は関係ない。しかし、その悟りを維持するには多くの時間と経験を必要とする。」つまりは、「悟りとは長い時間を経て初めて本物となり、世を救い、人を救う智慧となる。」と言うことです。「今、悟った!」と言うのは「悟りの入り口に入った。」と言うことであり、本当の意味での「悟った」という事とイコールではないと言う事なのです。それほど悟りの維持と持続は厳しく...
執筆者 西村 | 2023年09月26日 | カウンセリング
皆さんは「悟り」と言う言葉を聞いた事があるかと思います。ただ「悟りとはなに?」と訊かれたら中々答えられない事でしょう。「悟り」とは「自己認識の変容」と言い換えれば、まだ少しは分かりやすいかと思います。「それでもよく分からん」と言う方もいらっしゃいますよね、きっと。平たく言うと「これが自分だと思っていた事が、正しい方向に変わっていくこと」だと私は捉えております。つまり、人間として成長していく事とイコールと理解していただければ「なんだ、そんなことか」と思っていただけるのではないでしょうか。従って、その悟りに人それぞれのレベルの違いはあれど...