執筆者 西村 | 2024年02月11日 | カウンセリング
「実力がある人ほどその力を隠す」と言う事を昔の人は「能ある鷹は爪を隠す」と言っておりました。しかし最近では「実力以上に盛る」と言う事が平気に出来る方々が持て囃されるようです。こうした方々は総じて「努力」とか「修行」とか「精進」とか言う言葉がお嫌いのようです。こうした方々は表面上を繕うことに長けているので、見破るにはコツが要ります。「毎日ルーティンでやっている事を教えて下さい」と質問して、即座にどれくらいの数が返ってくるかを見れば、ある程度その人が実力通りの人か否かを確認できます。この質問でドギマギするようでは論外ですが、一つや二つであ...
執筆者 西村 | 2024年02月10日 | 自分史
人間だれでも他人の評価は気になるものです。かく言う私も、他人の評価に振り回された人生をついこの間まで送っておりました。しかし娘達も一人前となり巣立ってしまうと、何故か他人の評価に一喜一憂していた事が馬鹿らしくなりました。世の中には「正義や悪だと決めつけられるのが嫌だ。天賦の才能が全てに優先する」と言う考え方をする方もいらっしゃいます。そういう人にとっては本来、他人の評価は関係ない筈なのに、そう言う方ほど他人の評価を気にして「いいね」の数やフォロワーの数を気にするようです。本当に才能があると言う自信があるので有れば、他人の評価に左右され...
執筆者 西村 | 2024年02月08日 | カウンセリング, 雑記帳
「他人からどう見えるか」ばかり気にしすぎていると、人はいつの間にか「他人をどの様に操るか」を考えるようになっていくようです。多くの人は叱られれば反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないように気をつけますが、中には反省したふりをして腹の中では舌を出し、一向に反省しない人達もいるようです。政治家や立場が偉くなった人達に、こうした人が多いと思うのは私だけでしょうか。本来ならば社会的立場が高くなればなるほど「自分を律して他人の模範になるような生き方をしよう」と思うのが真のリーダーとして当たり前のように思いますが「他人を操って、反省したように見え...
執筆者 西村 | 2024年02月05日 | カウンセリング, 自分史
機能快(きのうかい)とは「本来の機能を使い続けることで、爽快感を伴う時が生まれてくる」ような状態のことを指します。例えば山登りを始めて暫くすると息も苦しくなり足も痛んできます。しかし頂上が近くなってくると心が躍り、頂上に着いた頃にはその痛みや苦しみも忘れて「爽快感」すら感じてしまう事があります。同じように、筋肉は成長する時に筋肉痛を伴います。人の心も、痛み苦しんでいる時は辛いけれど、そこを超えると心の筋肉が付いてきて、同じような辛さにはへこたれなくなります。私達人間は本当に意味での「心の成長」を目指すのであれば、苦難困難を礼讃する必要...
執筆者 西村 | 2024年02月04日 | 雑記帳
つい最近まで、場所によっては今も、日本の何処かの村々や町でも行われているかと思いますが「お裾分け」。「ちょっと貰い物したので、お隣さんにお裾分け」「料理を作り過ぎてしまったので、ご近所さんにお裾分け」こんな日常が一頃は良くみられました。よそ様が作られた料理を楽しむなんて、今の世の中では難しいかも知れません。余程の信頼関係成り立っていないと、いや信用していても「友人のお母さんが作ったおにぎり」すら口に出来ない人たちもいるくらいですから…日本もだいぶ変わりました。もともと日本人は「おかげさま」と言う言葉をよく使いました。「あなたのお陰で私...