敗者

敗者

将棋でもボクシングでも野球でも、勝負ごとになるとどうしても勝者と敗者が出て来てしまいます。勝者の中には、敗者に対して露骨に辱める態度を取る人もおります。負けた相手に対して勝ち誇り侮辱する態度は、同じ人間として情けなく感じてしまいます。勝負の世界は、今日はたまたま自分が勝者となったけれど、明日はどうなるか分からない。だからこそ、勝っても驕らず、負けても落ち込まず、また新たに練習と努力精進していく中に、こうした勝負の意味があるのではないでしょうか。「勝負は時の運」と言う言葉は、すこし運に頼り過ぎで投げやりな感じはしますが、それでも「勝って...
自罰と他罰

自罰と他罰

自罰的人間、他罰的人間…あまりお聞きになった事はないかと思います。自罰的人間とは、自虐的人間と言い換えても良いかと思います。要するに「自分ばかり責める人」のことです。「こうなったのは自分のせいだ」といつまでもクヨクヨと考え、自分の存在すら否定する様な考え方の人は、人生において幸せに生きることは難しいでしょう。また他罰的な人も他人を攻めるばかりで反省はしないので、成長することが難しいと言えます。「あいつがいるから自分はこうなった。環境が悪かったから仕方がない。私は何も悪くない。」と他人のせい、環境のせいばかりしている訳ですから、折角の成...
無責任

無責任

「義務から逃れたい」「責任から逃げたい」そう思う人ほど権利の主張を声高にします。「それは親がやること。」「それはリーダーがやることだから、私には関係ない。」「私には責任がない。私にはそうする義務ば無い。私の仕事はここまでだ。」と、こうした方々はよく仰います。また、こうした人は得てして頭が良い、勉強が出来た方に多いようです。しかしながら、こうした考え方は動物の自己保存欲や自己防衛本能と何ら変わりはありません。従って、どんなに頭が良くても、どんなに身分が高くても、心の中は「自分の事しか考えていない生物」と変わりはありません。特に、子供のう...
人間としての義務

人間としての義務

「人間としての義務」あまり聞きなれない言葉かと思いますが、実はこの言葉の内容こそ20代、30代を生きる上で幸せになるか不幸せになるかの分かれ道になる言葉なのです。人は一人では生きて行くことが出来ません。それ故に、助けて助けられて何とか人生を歩んで行くが実際のところであることを、年を重ねるごとに感じてきます。一人で生きて行けない人間であるからこそ、自分が置かれた立場で「人間としての義務」を果たして行かなければ、他の人の役に立つことは出来ません。若いうちに「遊べるうちに遊んでやろう」と思って、その義務を果たさず生きた人は、側から見ると楽し...
縄文時代

縄文時代

縄文時代と言うと皆様は何を思い浮かべることでしょうか?「火焔型土器」「竪穴式住居」「原始人」最後の「原始人」は縄文時代に生きていた人達にとって失礼かもしれません。何故なら、縄文人は現代人でも作る事が難しいとされている火焔型土器を多数作成し、現代の道具をもってしても難しいと言われる翡翠の加工まで行っていたのですから、もはや原始人とは言い難い文化人でした。また、縄文人は平和主義者で人同士で殺しあう戦争は皆無だったと言われております。(出土した遺骨の状態から分かるそうです)そんな平和な時代が一万年以上も続いていたと言うのですから本当に驚きで...