反省と感謝

反省と感謝

日々の出来事に翻弄されて生きていると、ふと想うことがあります。「自分の人生を生きるとは?」他人に振り回されたり、生活の糧を得るための仕事に自分の時間の大半を持って行かれたりしていると「自分の人生の王道」を見失ってしまいます。そんな時には反省と感謝が役立ちます。「ごめんね」と謝らなければならない事が起きたならば、その場で謝ろう。その場で謝罪出来なかったならば、心の中で謝ろう。「ありがとう」と口に出さなければ伝わらないならば、躊躇わずに笑顔で「ありがとう。助かったよ」と伝えよう。その場で言えなかったなら、心の中で「ありがとうございます。」...
老いてなお

老いてなお

老いても尚、自分に鞭打ち、自分を鍛えようとしているシニアの人達を見ると、心から感動致します。「自分にはあそこまで頑張る気力がまだあるのだろうか?」そう自問自答してしまいます。シニアから起業した方にお話を聞いた時「私は今まで自分の為に充分時間を掛けてきたから、これからは他人様の為に時間を使いたいの!」と仰っておりました。そう言っていた彼女でしたが、過去の生き様を聞いてみると…「自分の親戚、親の介護と子供達の子育てで、若い時は殆ど自分の時間が無かった」とお聞きしました。それでも彼女は「家族のことは自分のことと一緒。だって他人様とは呼ばない...
あきらめる

あきらめる

「あきらめる」と聞くとマイナスのイメージを持たれる方も多いかと思いますが、「あきらめる」が「明らかに眺める」から来ていると言うように「その人はそう言う人なんだから仕方がない」と思えば、イライラもしません。他人が自分の思い通りな人にならないとイライラしてしまうので、そう言う時は「そう言う人だから今は気長に眺めていよう」と思えば、少しは他人を許すこともできようになります。神様もきっとそんな気の長い目で私達人間を眺めて、成長を待ってくれているのでしょう。何十年も何百年も何千年も…気の遠くなる年月を、ただひたすらに優しい眼差しで眺めてくれてい...
裁き

裁き

私もそうですし、誰もがそうかもしれませんが「自分の正義で他人を裁いている」と言うことを、知らず知らずのうちに行っています。また厄介な事に「その自分の正義は一般的で当たり前」だと思っているから、人間関係においてトラブルが起きやすくなっているようです。聖書の中に「汝らのうち、罪なき者のみ石にて打つがよい」と言う言葉がありますが、どうしても他人を裁きたくなったら、私はこの言葉を心の中でつぶやいております。「自らの正義だけを持って他人を裁く時、私もまた罪を犯している」そう思えると、頭が冷やされ、冷静になって行くことが出来るように成れました。...
恋と愛

恋と愛

若い男女が川原の土手を手を繋ぎ歩いている情景をご想像して下さい。彼が、その道の脇に小さな綺麗な花を見つけました。彼はその花をひょいと摘んで彼女に「君にプレゼント!」と言って渡しました。その後、同じようなカップルがもう1組、その花の前にやって来ました。今度の彼はその綺麗な花を見つけると、彼女に「こんな所に小さくて綺麗な花が咲いている。見てごらん」と言って彼女を引き寄せ、一緒に暫くその花を眺めていました。どちらかがまだ日の浅い恋愛状態で、どちらが愛し合っている二人か分かりますでしょうか?そう、あなたが思う通り、前者が恋愛状態でした。恋愛状...