執筆者 西村 | 2023年10月10日 | 自分史
「あきらめる」と聞くとマイナスのイメージを持たれる方も多いかと思いますが、「あきらめる」が「明らかに眺める」から来ていると言うように「その人はそう言う人なんだから仕方がない」と思えば、イライラもしません。他人が自分の思い通りな人にならないとイライラしてしまうので、そう言う時は「そう言う人だから今は気長に眺めていよう」と思えば、少しは他人を許すこともできようになります。神様もきっとそんな気の長い目で私達人間を眺めて、成長を待ってくれているのでしょう。何十年も何百年も何千年も…気の遠くなる年月を、ただひたすらに優しい眼差しで眺めてくれてい...
執筆者 西村 | 2023年10月06日 | 自分史
私もそうですし、誰もがそうかもしれませんが「自分の正義で他人を裁いている」と言うことを、知らず知らずのうちに行っています。また厄介な事に「その自分の正義は一般的で当たり前」だと思っているから、人間関係においてトラブルが起きやすくなっているようです。聖書の中に「汝らのうち、罪なき者のみ石にて打つがよい」と言う言葉がありますが、どうしても他人を裁きたくなったら、私はこの言葉を心の中でつぶやいております。「自らの正義だけを持って他人を裁く時、私もまた罪を犯している」そう思えると、頭が冷やされ、冷静になって行くことが出来るように成れました。...
執筆者 西村 | 2023年10月04日 | 自分史, 雑記帳
若い男女が川原の土手を手を繋ぎ歩いている情景をご想像して下さい。彼が、その道の脇に小さな綺麗な花を見つけました。彼はその花をひょいと摘んで彼女に「君にプレゼント!」と言って渡しました。その後、同じようなカップルがもう1組、その花の前にやって来ました。今度の彼はその綺麗な花を見つけると、彼女に「こんな所に小さくて綺麗な花が咲いている。見てごらん」と言って彼女を引き寄せ、一緒に暫くその花を眺めていました。どちらかがまだ日の浅い恋愛状態で、どちらが愛し合っている二人か分かりますでしょうか?そう、あなたが思う通り、前者が恋愛状態でした。恋愛状...
執筆者 西村 | 2023年10月02日 | 自分史
「生きてきた中で一度も嘘をついたことがない!」と言う人は居ないでしょう。それでも、お釈迦様の時代よりも、もっと前から「ウソはいけないこと」と言われているのは何故でしょうか?「ウソで他人は騙せても、自分や神様は騙せないから、その罪は自分に返ってくるからだよ」と、よく祖母から聞かされていました。その祖母も若い頃、友達と両親にウソをついて辛い目に遭ったそうです。つまらない事でウソを言って親友に罪を被せて、先生や両親から怒られる事を免れたそうですが、その親友が事故で突然亡くなり、そのまま謝罪も出来ずに永遠のお別れになってしまったそうです。祖母...
執筆者 西村 | 2023年10月01日 | 自分史
私は「希望」という言葉を聞くと、胸がトキメキます。「今はこんな状態だけれど、まだなんとかなる!」そんな気持ちになれるから。異世界転生のアニメや漫画が流行っていますが、全く知らない世界に身体一つで放り出されたら本当に困ってしまうことでしょう。スマホもお金も、頼る人達も居ない。そんな状況でも生きて行けるのか?マンガとかでは、良い人達と知り合い、助けられて物語が展開して行きますが、実際自分の身に起こってしまったら…と思うとゾッとします。転生した世界で、落ち込んで生きる気力を無くして仕舞えば、そこでその人生もエンドとなることでしょう。そんな時...