平和な時間

平和な時間

清々しい朝が来て、皆が起きてくる。「おはよう」「おはよう」顔を洗い、朝食を食べ、歯磨きして、出かける。「行ってきます」「気をつけて」こんな平和な日がずっと続けば良いと思います。しかし、ずっと永遠には続かないことは分かっています。皆んな、いつかは年老いて、この世を去って逝く。突然、挨拶も出来なくなってしまう時もあります…悲しい事だけれど、現実は厳しい。そんな悲しい出来事が来ないように願いたい。であるならば、今この時の平和を心から楽しむことが大切になります。今この時に幸せを感じよう…そう思って私は今日も生きていきます。...
好意と愛

好意と愛

「好き」と「愛」は同じでしょうか?違うものなのでしょうか?私は人に対する好意と愛は明らかに違うものだと考えております。「好き」には様々な好意が含まれています。「あなたの優しさが好き」「あなたの気遣いが好き」「あなたの声、あなたの姿形が好き」好きには部分的な好意が込められている気がします。しかし「愛」となると、もっと包括的な形に変化していくようです。「あなたの良い所も悪い所も愛している」「あなたの全てを愛している」好きな人には愛を求めない時もありますが、愛する人には愛されたいと想う…それほど「好き」と「愛している」の間にはある種の隔たり...
善と悪

善と悪

100%の善人も、100%の悪人も居ないように、世の中には善と悪が混在しております。「必要悪」と言うあまり良くない言葉がありますが、これは「悪が必要だ」と言う事ではなく「何が善であるかを知らしめる為に必要な悪もある」と言う意味です。従って、悪が無くなれば善も無くなり、善が無くなれば悪も無くなる…禅問答のようですが、まさに陰陽の世界です。もともと、影がそれ自体が単体で存在する訳ではありません。影は光があるから生まれます。陽の光が無ければ影は出来ません。ですから影が光を侵食する事はあり得ないのです。つまり、悪は善を滅ぼす事は出来ないという...
カルマ

カルマ

「カルマ」とは仏教で言う「業」の事を言い、「魂の傾向性」や「解決すべき人生課題」を指します。このカルマは誰にでもあり、そのカルマと対決している時こそ人生における最大の試練であると言えるでしょう。その試練の中にある人は、心がざわつき、防御するモノも無くむき出し状態となり、無力で溺れそうな状態です。しかし、そうした試練の時こそ、その方にとっての「人生における成長するチャンス」を与えられているようです。だからと言って苦難礼賛をするつもりはありませんが、苦難困難もチャンスと見れれば、人生は常勝しかなくなります。...
忍耐

忍耐

若くて優秀な人ほど性急です。急ぎ、焦ります。それ故に色んな所にぶつかります。そして傷つきます。彼らを本当に磨いて行くものは何かと言うと、それは「忍耐」だと私は思います。忍耐をした人はどうなるかと言うと、他人に対して優しくなれます。性急に成功を求めて、それが得られた人達はみんな鼻高々の自慢好きな天狗になって行きます。成功までの間の忍耐の期間が長い人は「いぶし銀」の様な光があります。そう言う人達と交流していても疲れませんし、居心地がとても良い。それは彼らが本当の優しさを、身をもって知っているからなのではないでしょうか。「忍耐は寛容を産み、...