執筆者 西村 | 2023年07月20日 | 自分史, 雑記帳
「後悔は過去を変えようとすること。」と言いますが、それでは「反省」と「後悔」はどう違うのでしょう。反省とは、失敗から何かを学び取ること。「今回のミスは、私の準備不足から起きたこと」「このトラブルは元を辿れば、あの事をしっかりとクリアしてなかったから」などと過去を振り返り、原因を掴み、次回に対して原因と対策をして行く。後悔は過去を悔やむだけで将来へ繋ぐ意思を持っていないのですが、反省は常に先を見ています。だからこそ「反省は未来を変えていくこと」となるのでしょう。...
執筆者 西村 | 2023年07月18日 | 雑記帳
感謝の気持ちを持つには「自分がどれだけ生かされているか」を知る事が必要です。人はどんなに強がっても自分一人で生きて行く事は難しい。無人島で強制的に独りで生活をさせられない限り、現実的にたった一人の力では生きて行く事は出来ないでしょう。また感謝した事がない人には愛が分からないでしょう。「人を愛した事がないと言う人」は「人に感謝した事がない」人とイコールかもしれません。或いは「人を愛したことがないと言う人」は、人と言わず、天地万物に感謝した事もないでしょう。感謝と愛とは表裏一体です。「自らが多くのものを与えられる生かされている」と言うこと...
執筆者 西村 | 2023年07月16日 | 自分史, 雑記帳
反省と言うと「自分が言ったこと、行なったことに対して間違いはなかったか?」「自分の言動で他人を傷つけてしまわなかった?」など、どちらかと言えば消極的な反省のことを言っているかと思います。もちろん自分を磨き、周りの人達との調和を保つ為には、こうした消極的反省もとても大切ですが、その上の反省が存在することはなかなかご存じの方は少ないように思います。「社会や組織に対して、自分は機会があった筈だったのに成し得なかった」「こう言う思いを出すことが出来たのに出すことを躊躇ってしまった」「あのチャンスにこう言うことが出来たのに行動を起こすことをしな...
執筆者 西村 | 2023年07月14日 | 自分史
「山の中に庵を作り、その中に籠って悟りを得る」そんな人たちが今でも修行と称して(昔よりは少なくなりましたが)まだいらっしゃるようです。しかし、おそらく独り人里離れで得た悟りは、浅いものではないかと私は思ってしまいます。他人と言う存在を見て感じることで、人は自分を見つけることが出来るのではないでしょうか?また「他人を見ることができない人、理解することができない人、分かることが出来ない人」は、自分さえも分からない人だとも思います。他の人達の姿を見、他の人の心の在り方を見ることによって、「自分自身は、いったい何のために生まれ、何のために苦労...
執筆者 西村 | 2023年07月13日 | 雑記帳
真珠を創るアコヤガイにとって、最初から最後まで真珠は異物でしかありません。しかし彼らは、体内に入った異物を虹色に輝く真珠に変化させます。私達人間はアコヤガイ以上の存在であるならば、異物や変化をアコヤガイ以上に見事な真珠に輝かせる事が出来るはずです。異物を真珠に育てている時は、痛くて辛くて苦しいかも知れませんが、人生が終わる時に、その異物を真珠のように美しい想い出に変える事が出来たとしたら、どんなに幸せな事でしょう。「自分の人生の中にやって来た苦難困難はムダではなかった」と自信を持って振り返る事がきっと出来るはずです。真珠のような涙を流...