執筆者 西村 | 2025年12月14日 | 生前葬(感謝の会)
民主主義の中には2つのベクトルがあると言われています。一つは「自由」に向かう民主主義であり、もう一つは「平等」に向かう民主主義です。自由を求める民主主義は、アメリカで生まれ発展しました。「人は生まれながらの血筋や家柄に関係なく、なりたいものになれる自由」「人は行きたい所に行き、したい事を行える自由」そうした自由を大切に思い、育てて来た国がアメリカでした。かたや「平等に向かう民主主義」は、共産主義的な考え方や、全体主義的な流れを生んでいきました。「貧富の差が激しくなることは、民主主義的に許されることではない。人間は平等なのだから、結果に...
執筆者 西村 | 2025年09月20日 | 雑記帳
現代社会は、言論の自由に基づく権利の行使によって、権力者の首をすげ替える事ができる「永久革命」の社会ではありますが、「言論の質のチェックはどのようにするのか?」という問題は残っています。言論機関の権力については、日本国憲法には何ら規定されていません。「言論機関、報道機関はどれだけの権力が保障されているのか」ということについては、明記されていないが為に、今のところ無制限の状態になっています。「真理という観点から見たときに、報道の姿勢や言論の方向は正しいのかどうか?」という事については野放し状態です。教育は、そうした言論や学問の方向性の下...
執筆者 西村 | 2023年11月06日 | カウンセリング
何処の国に生まれたかによって幸不幸が発生してしまう場合があります。また歴史的には、普通に幸せを享受できるかと思って生まれて来た国が、一人の独裁者によって地獄と化し、生きていることすら辛くなってしまう場合もあります。会社や学校などの組織でも、「良いと思って入ったのに…」と言う事はあり得る事でしょう。その時に「移動できる自由」「辞めることができる自由」が無ければ、完全なカゴの中の鳥になってしまいます。逃げることが出来ないと、逃げる事すら諦めてしまいます。人は「幸福になる権利」と共に「幸福になる義務」も持っております。それ故に、自分の生きる...
執筆者 西村 | 2023年05月28日 | 雑記帳
過去の歴史においては「奴隷」と呼ばれる人達がおりました。彼らには移動の自由も無ければ、時間を使う自由もありませんでした。でも考える事、思う事「心の中は自由」でした。現代にはその時以上に奴隷になっている人達が存在するような気がします。「国や組織や会社、家族内のルールに縛られ、息苦しさを感じながらも、それに呪縛されている人達」「自分に対して規律を課し、自由に考えることを忘れてしまった人達」心まで奴隷になってしまったら、昔の奴隷制度の時よりも悲しい事かも知れません。「法律を犯してまで、あなたの自由を大切にしなさい」と言っている訳ではなく、「...