執筆者 西村 | 2023年01月04日 | 雑記帳
しきしまの大和の国は言霊の幸わう国ぞま幸かありこそ柿本人麻呂が詠んだ歌ですが、今の現代人にとっては心しなければならない内容だと思います。現代語に訳すと「この日本の国は、言霊、すなわち言葉が持つ霊的な力によって幸せになっている国です。これからも平安でありますように!」という感じでしょう。「言葉が乱れる国は、その国の内情も乱れる。」と言うことでしょうか。昔から結婚式とかで「別れる」「割れる」「終わる」は使わずに「お開き」と言う言葉を使うように、日本人は言葉の持つ魂を、とても大事にしてきました。これからも、そうあって欲しいと私は思っておりま...
執筆者 西村 | 2022年12月25日 | 生前葬(感謝の会)
論語に出てくる有名な孔子の言葉です。「いまだ生きると言うことの本当の意味を知らないのに、どうして死後の世界のことが分かろうか。死後の世界のことを考えているより、先ずは今のあなたの人生を正しなさい。それがあってからの死後なんですよ。今、全力を尽くせ。今、最善の生き方をしなさい。そうすれば死後の世界は後からついてきます」そんな意味だろうと私は解釈しております。終活も大切ですが、本当の終活をするならば「今生きているこの瞬間に、感謝すべき人には有り難うを言い、謝らなければならない人にはごめんなさいを言う。それこそが死への準備ではないですか?」...
執筆者 西村 | 2022年12月13日 | 自分史
私もそうですが、歳を取ってくればくるほど、物忘れは多くなってきます。これは仕方がないことだとは思うものの、少し怖いものも感じます。「病気になったから忘れる事が多くなったのかしら」とか考えてしまいます。しかし「忘れる」と言うこと自体は歳には関係がないと私は思っております。十代の頃でも「どんなに覚えようと必死になって覚えた英単語も次の日には忘れていた」とかはよくある話で、「本当にドラえもんの暗記パンが有ったらどれだけ助かったろう」と思ったことは何度もあります。要は「忘れることに恐怖するのではなく、忘れたらまた覚え直し、それでもまた忘れたら...
執筆者 西村 | 2022年12月04日 | 雑記帳
これからは「人生百年時代に入る」と言われて久しいですが、ただ百年生きるのではもったいないですね。どうせ長生きするならば、幸せに生きたいものです。カルロス・ゴーン氏のように65歳になってから世界逃亡みたいな感じでは悲しいものです。最後は「晩節を汚さない」を生き方をしたいものです。これから先は「小中高大学で成功を計られ、その後は一生安泰」と言う甘い時代は来ないことは見えております。100歳まで生きるとしての人生の組み立てが必要となって来ている感じがします。...
執筆者 西村 | 2022年11月19日 | 老化
「相思い(あいおもい)」で愛し合った夫婦二人が、永く連れ添ったけれど、伴侶との別れがきた時に、使う言葉「片恋づま(かたこいづま)」昔は夫と妻も両方「つま」と呼んだので、男の方は「片恋夫」女の場合は「片恋妻」と書き、両方「片恋づま」と読んだそうです。もうこの世には居ない配偶者を、いつまでも思い続けている人。自分もそう有りたいと願うばかりです。...