老いと病院

老いと病院

病院では自然死はあり得ません。何故なら処置をしなければ許されない場所だからです。またお医者さんも何もしないで、ただ死を待つことには耐えられないでしょう。ですので殆どのお医者さんは「自然死」を知らないそうです。人が自然に死んで行く姿を見たことがないそうです。「死」と言う自然の営みは、本来穏やかで安らかだったはずです。それを医療が関与することで、より非人間的なものに変貌させてしまったと叫ぶお医者さんがいるくらいです。一番の怖がりはお医者さんだとも言われています。それは悲惨な死ばかりを目の当たりにしてきたから「何とか生かせてあげたい」と、死...
パスカルの確率論

パスカルの確率論

フランスの数学者、哲学者として有名なパスカルは、「人間は考える葦である」などの多数の名文句や、「パスカルの賭け」などの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』の著者として有名です。また「パスカルの三角形」「パスカルの原理」「パスカルの定理」などの発見でも知られています。その中でも、あまり内容が知られていないのが「パスカルの賭け」です。これは「パスカルの確率論」とも呼ばれていますが、端的に要約するとこんな感じです。神やあの世がある確率は五分五分ですが「神はいる」と信じ、その信仰を持って立派な人生を生きていた人が、死後信じていた通り神も存在...
縁起の理法と自助努力

縁起の理法と自助努力

世界中に多くの宗教が存在しておりますが、多くの宗教が「お願い宗教」と言われています。「どうか私の病気を治してください。」「どうか私を貧乏生活から救ってください。」「私の願いを叶えて下さい。」この様な感じで、自分や周りの人達の救済と願いを叶えてあげることで、拡まって行った宗教が多いことも事実です。謂わば「他力信仰」ですが、こうした考え方が行けないわけではなく、宗教は他力の思想がないと成り立たない面もあります。辛くて苦しいこの世の中を生きて行くには、誰かに頼ることは、決して弱者のみの行為ではないからです。しかし仏教は、この他力信仰も含みな...
釈迦の教え

釈迦の教え

お釈迦様は八万法門と言うくらいに、多くの教え(法)を説かれました。その教えの殆どに「反省」が含まれております。「人は間違いを犯すものだ。だからこそ反省と言う道具を仏は与えて下さった。故に反省しないものは魂の成長なく、もはや人間であるとは言えない。なぜなら真の意味で反省できるのは人間だけだからである」こうした教えが示すとおりにお釈迦様は「八正道」(はっしょうどう)を説かれました。「正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、正しい生活をし、正しく精進し、正しく祈り、正しい心もを持つ。」こうした事に対して、自分の行いを顧みて日々反...
何が正しいのか

何が正しいのか

誰もが自分の正しさの基準を持っています。「いや私は、他人を正しいか間違っているかで判断していない」と言う方もいらっしゃるかと思いますが、それでも何かを選び、何かを購入する時には、自分基準を基に購入と言う決断をしていると言えかと思います。しかし、いつも「何が正しいのか?」を考えている人は、何故か他人に対してイライラする人が多いようです。「何が楽しいのか?」を判断基準にしている人は、他人に対しても「この人にとって楽しいことは何かな?」と考えている為、ついつい笑顔になってしまいます。私達は「何が正しいのか?」を求めていながら、心の中では「正...