執筆者 西村 | 2025年04月02日 | 雑記帳
般若心経の中にも出て来る「色受想行識」は、仏教の教えですが、これを平たく言うと「人間は五感を持って認識している」つまり「肉体や物質(色)を見て、それを受け止める感受性(受)があり、それについて思いを巡らせて(想)、行為をし(行)、その行為の結果について認識する(識)」と言うことです。「こうした五感を去ったところに本当の自己はある」と仏陀は説いたわけです。それが「意」であり、「意識」「意志」と言う「六感」になると言うことです。六感と言うと、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に加えての「超感覚」を指したりしますが、誰しも持っているものの筈ですが...
執筆者 西村 | 2025年04月01日 | 雑記帳
さすがに今でもMMT理論を推す人達は少ないかと思いますが、2019年辺りでは色んな政治団体が声高に「素晴らしい理論だ」と叫んでいました。しかし、この理論一見は難しそうに思いえますが、既に日本では江戸時代に行っていたと言ったら驚かれるでしょうか。そもそもMMT理論とは「自国通貨で出した国債ならば、インフレが起きていない状況の時には、いくら借金の為の国債を出しても潰れない」と言う理論なのです。江戸時代、武家が商家などに借金を作り、武士たちが苦しんだ時など(元禄の改鋳1695年、宝永の改鋳1706~11年、元文の改鋳1736年、文政の改鋳、...
執筆者 西村 | 2025年03月31日 | 雑記帳
知を愛する人たちの事を「愛知者」と呼びます。この知とは「真理や善や美を知る」ということになります。「真実を知る事が出来たら最高である」と言う考え方ですが「真実を知ると言うことは、愛することと同じ」と言う考え方です。「知ることが愛することと同じ?」そう疑問に思われた方もいらっしゃることでしょう。例えば「相手を理解することが出来たら、相手を愛することができたと一緒。相手を理解できない時は、愛することが出来ない。」と言ったら、あなたはどう感じますか?「いや、相手を理解したら余計に嫌いになった」と言う方もいらっしゃるかも知れませんが、愛するの...
執筆者 西村 | 2025年03月30日 | 雑記帳
アリストテレスは「人生の目的は幸福である」と語っています。彼の教えを受けたアレクサンダー大王は、若くして亡くなりますが、彼が世界帝国を築いた背景には、「人生の目的は幸福になること」と言う積極的な光明思想が流れていたから、広大な地域の人々を幸福にしようと帝国を築いたのかも知れません。同様に西田幾多郎博士も著書「善の研究」の中で「幸福」について言及しております。彼は「幸福とは善である。善であることが幸福なのだ」という言い方をしています。善であると言うことは「人間としての生き方として正しい」と言うことであり、善悪で言えば「悪から遠ざかり、善...
執筆者 西村 | 2025年03月29日 | 雑記帳
私達は物を測る時に、物差しなどの直線的な物で30cmであるとか1mであると計測します。これが、地球の円周を実際に測るとなると大変なことですが、直線的に測っていたものが、今度は曲線となって現れてきます。「直線であって曲線。曲線であって直線」なんだか、ややこしい話ですが、これが「絶対矛盾的自己同一」と同じことです。「現在の私はここに居るけれど、過去にもいたし、明日の未来にもおそらく存在するだろう」と想像はつきます。では過去の自分は、現在の自分から観たら「自分」と言えるのか?未来の自分は、果たして「自分」と定義できるのか?そんな事を考えた人...