祝福の心

祝福の心

「まだまだ若いなぁ」とか「ひよっこが何を言っている!」とか、年配者や先輩達は若い人達に言うけれど、これらの言葉百害あって一利なしだと私は思っております。それより、彼らが出来たところ、良かったところを褒めてあげる方が、よっぽどメリットが大きいことでしょう。褒められた本人は勿論うれしいでしょうし、褒めた側も「優しくて良い人」に思われます。決して若い人達を腐したり、けなしたりしてはいけません。若い芽を摘むような事を年配者はやるべきではありません。自分達が先輩達に育てていただいた御恩を返すべき時が来たと思って、若い人達を温かい目で育てて行く事...
出処進退

出処進退

高齢化社会になると問題になるのは医療費関係ばかりではありません。いわゆる「老害」と言う深刻な問題も出てきます。私もシニアと言われる世代になり、やはり出処進退は自分で決めるべきと思い古巣を離れ、新しい会社を創りました。日本は儒教が根付いているので、年上を敬う気持ちを持ってくれている人達が多く、有り難い事ではありますが、だからと言って歳を取れば取るほど仕事が出来る訳でもなく、50、60才を過ぎると心身ともに衰えを感じることは否めません。にも関わらず、年齢を重ねると共に欲が増していく方もいらっしゃるようで、年寄りを敬ってくれるのをいい事に、...
敗者

敗者

将棋でもボクシングでも野球でも、勝負ごとになるとどうしても勝者と敗者が出て来てしまいます。勝者の中には、敗者に対して露骨に辱める態度を取る人もおります。負けた相手に対して勝ち誇り侮辱する態度は、同じ人間として情けなく感じてしまいます。勝負の世界は、今日はたまたま自分が勝者となったけれど、明日はどうなるか分からない。だからこそ、勝っても驕らず、負けても落ち込まず、また新たに練習と努力精進していく中に、こうした勝負の意味があるのではないでしょうか。「勝負は時の運」と言う言葉は、すこし運に頼り過ぎで投げやりな感じはしますが、それでも「勝って...
自罰と他罰

自罰と他罰

自罰的人間、他罰的人間…あまりお聞きになった事はないかと思います。自罰的人間とは、自虐的人間と言い換えても良いかと思います。要するに「自分ばかり責める人」のことです。「こうなったのは自分のせいだ」といつまでもクヨクヨと考え、自分の存在すら否定する様な考え方の人は、人生において幸せに生きることは難しいでしょう。また他罰的な人も他人を攻めるばかりで反省はしないので、成長することが難しいと言えます。「あいつがいるから自分はこうなった。環境が悪かったから仕方がない。私は何も悪くない。」と他人のせい、環境のせいばかりしている訳ですから、折角の成...
無責任

無責任

「義務から逃れたい」「責任から逃げたい」そう思う人ほど権利の主張を声高にします。「それは親がやること。」「それはリーダーがやることだから、私には関係ない。」「私には責任がない。私にはそうする義務ば無い。私の仕事はここまでだ。」と、こうした方々はよく仰います。また、こうした人は得てして頭が良い、勉強が出来た方に多いようです。しかしながら、こうした考え方は動物の自己保存欲や自己防衛本能と何ら変わりはありません。従って、どんなに頭が良くても、どんなに身分が高くても、心の中は「自分の事しか考えていない生物」と変わりはありません。特に、子供のう...
人間としての義務

人間としての義務

「人間としての義務」あまり聞きなれない言葉かと思いますが、実はこの言葉の内容こそ20代、30代を生きる上で幸せになるか不幸せになるかの分かれ道になる言葉なのです。人は一人では生きて行くことが出来ません。それ故に、助けて助けられて何とか人生を歩んで行くが実際のところであることを、年を重ねるごとに感じてきます。一人で生きて行けない人間であるからこそ、自分が置かれた立場で「人間としての義務」を果たして行かなければ、他の人の役に立つことは出来ません。若いうちに「遊べるうちに遊んでやろう」と思って、その義務を果たさず生きた人は、側から見ると楽し...