執筆者 西村 | 2025年03月31日 | 雑記帳
知を愛する人たちの事を「愛知者」と呼びます。この知とは「真理や善や美を知る」ということになります。「真実を知る事が出来たら最高である」と言う考え方ですが「真実を知ると言うことは、愛することと同じ」と言う考え方です。「知ることが愛することと同じ?」そう疑問に思われた方もいらっしゃることでしょう。例えば「相手を理解することが出来たら、相手を愛することができたと一緒。相手を理解できない時は、愛することが出来ない。」と言ったら、あなたはどう感じますか?「いや、相手を理解したら余計に嫌いになった」と言う方もいらっしゃるかも知れませんが、愛するの...
執筆者 西村 | 2025年03月30日 | 雑記帳
アリストテレスは「人生の目的は幸福である」と語っています。彼の教えを受けたアレクサンダー大王は、若くして亡くなりますが、彼が世界帝国を築いた背景には、「人生の目的は幸福になること」と言う積極的な光明思想が流れていたから、広大な地域の人々を幸福にしようと帝国を築いたのかも知れません。同様に西田幾多郎博士も著書「善の研究」の中で「幸福」について言及しております。彼は「幸福とは善である。善であることが幸福なのだ」という言い方をしています。善であると言うことは「人間としての生き方として正しい」と言うことであり、善悪で言えば「悪から遠ざかり、善...
執筆者 西村 | 2025年03月29日 | 雑記帳
私達は物を測る時に、物差しなどの直線的な物で30cmであるとか1mであると計測します。これが、地球の円周を実際に測るとなると大変なことですが、直線的に測っていたものが、今度は曲線となって現れてきます。「直線であって曲線。曲線であって直線」なんだか、ややこしい話ですが、これが「絶対矛盾的自己同一」と同じことです。「現在の私はここに居るけれど、過去にもいたし、明日の未来にもおそらく存在するだろう」と想像はつきます。では過去の自分は、現在の自分から観たら「自分」と言えるのか?未来の自分は、果たして「自分」と定義できるのか?そんな事を考えた人...
執筆者 西村 | 2025年03月28日 | 雑記帳
今日は少し哲学的なお話しをいたします。目の前に赤いバラがあるとします。あなたは、まだ言葉を喋るかどうかの小さな子供だとします。あなたは、その赤いバラをみて、何と言葉にするでしょう?あなたは未だ小さな子供だから、きっと言葉では表現できないけれど「そこに何かが有る」ことは認識しているはずです。「赤いバラ」という言葉は知らないので、表現できないけれど認識はしている。これが「純粋経験」と言われるものです。お母さんに「これは赤いバラだよ」と教えられて、初めて「そのものの色」が「赤い」と表現され、「そのもの自体」が「バラ」と表されることを知ります...
執筆者 西村 | 2025年03月27日 | 雑記帳
アルトゥール・ショーペンハウエルは、ドイツの哲学者です。『意志と表象としての世界』が著書としては有名です。彼はキルケゴールと共に「実存主義」の走りとも言ってよい人で、仏教の虚無思想にかなりの影響を受けたようです。その為、彼は非常にペシミスティック(悲観的)な仏教思想を用いて、幸福論を書いています。これについてはショーペンハウエルの母親の影響も大きかったようです。彼の母親は、自分のことを「天才だ」と思っているような人でしたが、ショーペンハウエルが「自分が天才だ」と言うので、「同じ時代に、同じ家に、天才が2人いてたまるか」と言うことで「天...
執筆者 西村 | 2025年03月24日 | 雑記帳
西田幾多郎氏のことをご存知の方は、日本人あってもかなり少ないと思われます。「善の研究」という著書がありますが、夏目漱石の「こころ」という小説の舞台となった時代の頃に書かれた哲学書です。西田幾多郎氏は「純粋経験」という概念を創り出し、真理に踏み込みました。「純粋経験」とは何かというと、「西洋的な個人主義に押し流されていく流れの中で、故人がみな自我を発揮して、自己実現に励んでいくだけが、近代あるいは現代の原理としての思想のあり方ではない。あくまでも個人というものはあるけれど、個人と呼ぶような個人があって経験し、思想が出来るのではなく、経験...