執筆者 西村 | 2025年08月30日 | 雑記帳
心の三毒と聞いて、皆様は何をあげるでしょうか。嫉妬や妬み、人の不幸を願う心、卑怯な思い、人を傷つけて喜ぶ心…色々と考えつくかと思います。仏教では心の三毒と言うと「貪(とん)」「瞋(じん)・痴(ち)」を指します。貪とは貪欲とも言うように、飽くなき欲望のことを言います。「あれも欲しい、これも欲しい」と、まるで餓鬼のように、物や肩書き、お金に執着するさまです。瞋とは「怒り」のことです。瞬間湯沸かし器のように、ちょっとでも気に触ることを言うと怒り出す人、あなたの周りにも数人いらっしゃるのではないでしょうか。こう言う人たちは、本能で生きている動...
執筆者 西村 | 2025年08月26日 | 雑記帳
世の中は「陰と陽で出来ている」と言われますが、これはいわば「二元論」的発想です。この世的に見れば、悪があれば善がある、光があれば影がある、水があれば火もある…このように対極な存在が、この世の中を創っていると言う考え方です。そう言った意味では、二元論は正しいでしょう。しかし、光明思想では「影は光がない存在であり、悪は善が存在しない状態である。」と考えます。確かに、影は光が無ければ出来ません。そもそも善が無ければ、それに反する悪も無くなります。こうした一元論的な考え方は、一見この世的な事象と矛盾している様に見える時もありますが、よくよく考...
執筆者 西村 | 2025年08月21日 | 雑記帳
前にも書きましたが、「念い」は「想い」よりも、「思い」よりも、現実的な力を持ちます。松下幸之助翁が全国から集まった経営者における講演会を開催したときに、テーマは有名な「ダム経営について」でした。その中の質疑応答の場面で、ある方が「ダム経営の素晴らしさは分かりましたが、一体どうすればダム経営を出来るのでしょうか?」と言う質問がされました。この質問に対して松下さんは「さあ、それは分かりませんのですわ。ただ、まあ、ダム経営したいと念わなければ、そうなりませんなぁ。」と答えたそうです。これに対して「天下の松下とあろう者が、その程度しか言えない...
執筆者 西村 | 2025年08月19日 | 雑記帳
「世界の中で、無宗教と言われる国は日本も含めて数国しかない」と言われていますが、それは国が国教を持っているかどうかで、見ているからそうなるのでしょう。日本は、何処かの国のように宗教を否定している訳ではありません。いや寧ろ「信教の自由」は保証されている民主的な国家です。だからこそ、宗教戦争に対しては否定的な目で見ることが出来ます。しかしながら、その自由な日本においても「新興宗教は怪しい」と言う見方は根強くあります。ただ、仏教もキリスト教も、ユダヤ教もイスラム教も最初は新興宗教でした。既存の宗教に対して、それに抗う形で現れた宗教でした。従...
執筆者 西村 | 2025年08月18日 | 雑記帳
古今東西、賢人と言われる思想家は数多いらっしゃいましたが、数百年、数千年残る思想家は、ほんの一握りしか存在しません。それだけの風雪に耐えてもなお「真理を語っている」と思われる賢人だけが、人類の進化に寄与し、人々の記憶残っています。釈尊、イエス、孔子、ソクラテス、モーゼの様な宗教家、哲学者もいらっしゃれば、ニュートン、ダビンチ、アインシュタイン、エジソンなどの科学者、芸術家もいらっしゃいます。彼らの共通点として一つ挙げられることは、「成長し続けてきた人生を送っていた」と言えるのではないでしょうか。彼らの多くは人生の途中で、多くの名声や名...
執筆者 西村 | 2025年08月17日 | 雑記帳
私達の不幸の始まりは、「相手のことが理解できない」と言うところから始まってしまう事が多いようです。自分と意見が合わない人であっても、その考え方や生き方が、全て理解できれば許せる事も可能でしょうが、理解できない場合は、どうしても納得がいかず、自分の感情が許さないところがあります。そういう事があるので、「人間について、もっと知りたい」と言うことで「人間学」が大事となってきます。自分以外の他の人々は、自分とは違う様々な考え方を持って生きています。中には、こちらが聞いたこともない考え方や、唖然としてしまうような考え方を持っている人もいます。向...