執筆者 西村 | 2025年03月24日 | 雑記帳
西田幾多郎氏のことをご存知の方は、日本人あってもかなり少ないと思われます。「善の研究」という著書がありますが、夏目漱石の「こころ」という小説の舞台となった時代の頃に書かれた哲学書です。西田幾多郎氏は「純粋経験」という概念を創り出し、真理に踏み込みました。「純粋経験」とは何かというと、「西洋的な個人主義に押し流されていく流れの中で、故人がみな自我を発揮して、自己実現に励んでいくだけが、近代あるいは現代の原理としての思想のあり方ではない。あくまでも個人というものはあるけれど、個人と呼ぶような個人があって経験し、思想が出来るのではなく、経験...
執筆者 西村 | 2025年03月23日 | 雑記帳
ダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」は、数字と幾何学的要素が盛り込まれた、神秘的な詩篇でもあります。3や7、100という数字を、詩の行数の中に込めていたり、円周の比である22:7を使用したりしています。例えば「神曲」は「地獄編」「煉獄編」「天国編」の三部構成になっていますし、詩行は全て3行からなっています。ダンテは、詩人ではなく意外なことに政治家でしたが、政敵に追いやられ、自分の政治的な基盤地であるフィレンツェを追い出され、苦難の中に身を置きます。そうした中で、17年に渡って書かれた「神曲」は地獄編の中において、自分の苦難困難に対する...
執筆者 西村 | 2025年03月21日 | 雑記帳
哲学や心理学は、どちらかと言うと宗教を否定する側に立っているようです。特にロックやルソー、カントが活躍した1,700年代くらいには、近代思想の中に「神の存在を否定する思想」が生まれ拡がっていたように思えます。世界的にも人口が増えて、社会全体のインフラも発展して、生活のレベルが中世以前よりも良くなり、病気で亡くなる人達が減ったことを見れば、合理思想や啓蒙思想自体は人類が数多く、より幸福に生きる為には寄与した面もあったかも知れません。学問、教育のシステム化も、教科書やマニュアルで様々な先生から教えられることによって、拡大生産的に認識力のあ...
執筆者 西村 | 2025年03月18日 | 雑記帳
参勤交代は、江戸時代から始まったように記憶している方も多いかと思いますが、元々は豊臣秀吉の時代からありました。時の権力者は、自分に服従した者に対して「我に参拝せよ」と言うことで、わざわざ自分の居城まで来させたのが始まりです。ただ徳川家光の頃になると、地方の豪族達の妻や子供達を江戸に人質として置き、郷里から江戸に来させては、翌年帰らせると言う事を繰り返させました。一回の参勤交代には、今のお金で数億が掛かったとされたので、各藩の財政を疲弊させて、幕府に対して謀反を起こさせないための制度に確立されて行きました。ただ、この参勤交代の制度により...
執筆者 西村 | 2025年03月17日 | 雑記帳
「哲学とは何のためにあるのか」という問いに対し、今の哲学者は明確な答えを持っていないかも知れません。いや、もしかしたら「答えられない」のかもしれません。もしソクラテスやアリストテレスが生きていたら「善を求めること」と答えたのではないかと私は推測します。「善を求めること」という事が、結局は「幸福の基」であり、「人間が幸福になる」と言うことはどう言うことかと言うと「善を求めて生きる」と言うことに、繋がって行くのだと私は考えます。「善を求めて生きる」その「善」とは何かを探究して行くのが「愛知者の使命」であるのでしょう。「これが善である」と、...
執筆者 西村 | 2025年03月15日 | 雑記帳
「耳が聞こえる人は、耳が聞こえない人の気持ちは分からない」「目の見える人は、目の見えない人の本当の気持ちは分からない」このように言われることがありますが、真理についても同じように言えます。一度でも本当の真理を発見し、理解した事がある人には、真理がどう言ったものかが分かりますが、真理という概念すら知らない人にとっては理解は出来ないでしょう。この世において、明らかに間違っていることや、嘘をついている者に対する真実の探究は必要ですが、真実のものが現れて来た場合、最後はそれを信じられるかどうかという事も問われています。これは「食べることが出来...