執筆者 西村 | 2025年03月29日 | 雑記帳
私達は物を測る時に、物差しなどの直線的な物で30cmであるとか1mであると計測します。これが、地球の円周を実際に測るとなると大変なことですが、直線的に測っていたものが、今度は曲線となって現れてきます。「直線であって曲線。曲線であって直線」なんだか、ややこしい話ですが、これが「絶対矛盾的自己同一」と同じことです。「現在の私はここに居るけれど、過去にもいたし、明日の未来にもおそらく存在するだろう」と想像はつきます。では過去の自分は、現在の自分から観たら「自分」と言えるのか?未来の自分は、果たして「自分」と定義できるのか?そんな事を考えた人...
執筆者 西村 | 2025年03月28日 | 雑記帳
今日は少し哲学的なお話しをいたします。目の前に赤いバラがあるとします。あなたは、まだ言葉を喋るかどうかの小さな子供だとします。あなたは、その赤いバラをみて、何と言葉にするでしょう?あなたは未だ小さな子供だから、きっと言葉では表現できないけれど「そこに何かが有る」ことは認識しているはずです。「赤いバラ」という言葉は知らないので、表現できないけれど認識はしている。これが「純粋経験」と言われるものです。お母さんに「これは赤いバラだよ」と教えられて、初めて「そのものの色」が「赤い」と表現され、「そのもの自体」が「バラ」と表されることを知ります...
執筆者 西村 | 2025年03月27日 | 雑記帳
アルトゥール・ショーペンハウエルは、ドイツの哲学者です。『意志と表象としての世界』が著書としては有名です。彼はキルケゴールと共に「実存主義」の走りとも言ってよい人で、仏教の虚無思想にかなりの影響を受けたようです。その為、彼は非常にペシミスティック(悲観的)な仏教思想を用いて、幸福論を書いています。これについてはショーペンハウエルの母親の影響も大きかったようです。彼の母親は、自分のことを「天才だ」と思っているような人でしたが、ショーペンハウエルが「自分が天才だ」と言うので、「同じ時代に、同じ家に、天才が2人いてたまるか」と言うことで「天...
執筆者 西村 | 2025年03月24日 | 雑記帳
西田幾多郎氏のことをご存知の方は、日本人あってもかなり少ないと思われます。「善の研究」という著書がありますが、夏目漱石の「こころ」という小説の舞台となった時代の頃に書かれた哲学書です。西田幾多郎氏は「純粋経験」という概念を創り出し、真理に踏み込みました。「純粋経験」とは何かというと、「西洋的な個人主義に押し流されていく流れの中で、故人がみな自我を発揮して、自己実現に励んでいくだけが、近代あるいは現代の原理としての思想のあり方ではない。あくまでも個人というものはあるけれど、個人と呼ぶような個人があって経験し、思想が出来るのではなく、経験...
執筆者 西村 | 2025年03月23日 | 雑記帳
ダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」は、数字と幾何学的要素が盛り込まれた、神秘的な詩篇でもあります。3や7、100という数字を、詩の行数の中に込めていたり、円周の比である22:7を使用したりしています。例えば「神曲」は「地獄編」「煉獄編」「天国編」の三部構成になっていますし、詩行は全て3行からなっています。ダンテは、詩人ではなく意外なことに政治家でしたが、政敵に追いやられ、自分の政治的な基盤地であるフィレンツェを追い出され、苦難の中に身を置きます。そうした中で、17年に渡って書かれた「神曲」は地獄編の中において、自分の苦難困難に対する...
執筆者 西村 | 2025年03月21日 | 雑記帳
哲学や心理学は、どちらかと言うと宗教を否定する側に立っているようです。特にロックやルソー、カントが活躍した1,700年代くらいには、近代思想の中に「神の存在を否定する思想」が生まれ拡がっていたように思えます。世界的にも人口が増えて、社会全体のインフラも発展して、生活のレベルが中世以前よりも良くなり、病気で亡くなる人達が減ったことを見れば、合理思想や啓蒙思想自体は人類が数多く、より幸福に生きる為には寄与した面もあったかも知れません。学問、教育のシステム化も、教科書やマニュアルで様々な先生から教えられることによって、拡大生産的に認識力のあ...