執筆者 西村 | 2025年11月25日 | 雑記帳
哲学的な言い回しをする人の中には、霊的なものを否定したがる人が多く、唯物論に基づいて観念論を色々と捻っては、難しい文章、難解な文を書いて、人々を惑わしている人たちが一定数おります。「そういう難解な文章、一読して理解できないような文章を書ける人が、偉い学者、大学者なんだ。」という感じになってきています。それは、職業として学者社会の「ギルド」、そういういう「組合」を守っているようなところがあって「一般の人は入れない」という面があるかもしれませんが、「根本的なところ、思想の核に当たる部分が存在するかどうか?」という事は、「平易な言葉に言い直...
執筆者 西村 | 2025年11月24日 | 雑記帳
東北大震災以来、「原子力発電所は怖い」というイメージが刷り込まれてしまいましたが、日本から原子力発電所が無くなって喜ぶのは、原発反対派だけではないのです。お隣の国は「日本から原子力発電所が無くなれば、石油の輸送ルートを抑えて、日本は終わりだ」と考えていることでしょう。また裁判所ですら「原子力発電所は不測の事態に備えなければいけない」という様なことを言っています。例えば、原発を再稼働する条件として、「9.11でビルにジェット機が突っ込んだように、今後は原子力発電所に突っ込んでも持ち堪えるくらい丈夫で、遠隔で原子力発電の機能を止められる装...
執筆者 西村 | 2025年11月23日 | 雑記帳
真理の探究には2つのベクトルがあると言われています。しかしながら先生、師匠、メンターと言われる方々の多くが、このベクトルの一つしか指し示していない場合や、どちらかに偏っている場合が多いと言われています。皆様ご自身の、先生やメンターを良く良く観察してみると、それが事実だとお分かりいただけるかと思います。「真理探究の道は自分の内にある」と言って、ひたすら瞑想したり、難行苦行に打ち込む道場や教室もあります。「自然こそが真理だ。自然から学ぶことが私たちの幸せに繋がる」と言って、自然や物質からの気やエネルギーを取り入れようとする集団もあります。...
執筆者 西村 | 2025年11月22日 | 雑記帳
SNS全盛の現代では、如何にしてフォロワーを得るか、「イイね」を貰うかで勝負をしている人達が大勢いらっしゃいます。どこの世界でも、どんな組織においても「他人に嫌われて成功する」ことはないので、自分のファンを創るということは大切なことでしょう。では、「どうすればファンを創ることできるのか?」それが分かれば、私もこうしてブログを書いていられないほど売れっ子になり、自分の書籍をいっぱい出していることでしょう。笑ただ、私としては「ファンを増やすことに念いを向けていない。」から、現状のままで良いと感じてます。「縁あって、このブログに出逢った人が...
執筆者 西村 | 2025年11月17日 | 雑記帳
どんな名人、どんなに優秀な人であっても、5年、10年も日々の精進していなかったら、その腕は鈍ることでしょう。例えば、坂本龍馬は最期に近江屋で襲われて死んでいますが、その日は33歳の誕生日でした。しかし、千葉道場(玄武館)は江戸の三大道場の一つであるので、そこの師範代である龍馬は、江戸のベストスリーに入るくらいの剣の腕はもっていたと思われます。その位の腕をもっていたならば、軍鶏鍋をつついていたとしても、階下の賊が音を立てて、見張りの藤吉などを斬り殺しながら階段を上がって来たら、勘が働いて十分に間に合って対応出来ていたはずです。しかし、道...
執筆者 西村 | 2025年11月15日 | 雑記帳
「より多くの人々を幸福にしたい」「より多くの人々を愛したい」「より多くの人々の暮らしを楽にしたい」「より多くの人々のお役に立ちたい」という様なことを、いつも考えていると、ヒラメキは益々その頻度が多くなって行きます。関心が自分自身にしかない人には、自分自身のなすべきことに対するヒラメキさえ、なかなか湧いてこないものです。しかし「他の人々を幸福にしよう」という方向に関心が向いていると、即ち日頃から色々な人を観ながら「この人は、こうしたら幸福になれる」「こういう人には、こうしたら喜ばれる」ということを考えていると、次から次へと色々なアイデア...