天台智顗は「全ての人の中に仏性が宿っている」ことを、明確に謳っているのは『法華経』であるとしました。
法華経の中には「迹門」と「本門」があり前半を「迹門」、後半を「本門」としました。
「迹門」とは、この世に現れた仏(仏陀)が一切の衆生を救済していく教えが中心ですが、「本門」ではいわゆる「久遠実成の仏陀」が出てきます。
『人間・釈迦』として生きていた釈迦だけが釈迦の全部ではなく、そこはあくまでもこの世に降りた仮の姿であり、本仏の一部がでたという思想が「法華経」の後半に出てきます。
小乗仏教は『人間・釈迦』の部分で、人間として生まれて八十余年生きた釈迦の「伝道の旅に歩いていた」とか「托鉢していた」とか「御籠もりしていた」とか、そういう面だけだをとって、真似ているところが多いのも事実です。
しかし本当は「久遠実成の仏」という、無限の過去から無限の未来にむけて、人類を指導している大きな光が存在して、その一部が化肉して、釈尊として生まれたわけです。
