真言密教の八祖、真言宗の開祖である空海と、日本天台宗の開祖である最澄は同時代に生まれていました。
空海の方が7歳ほど年下でありましたが、どちらとも「秀才」として仏教界に名を轟かせていました。
空海が密教を沢山持ち帰ったのに対して、最澄はその一部しか当時の中国「唐」で学べなかったそうです。
そのため、最澄は空海に「『理趣経』の解釈本である『理趣釈経』を貸してくれないか。」と頼みました。
しかし空海は「密教というのは、実際に実修しなければ体得できない。経文だけ読んでも学べるものではない。」ということで、最澄の申し出を断ったのです。
話は変わりますが、ヒンドゥー教の中にある「カーマ・スートラ」(愛欲教)という教えが仏教にも入り込み、密教の中の一部として入っているのですが、仏教では煩悩の部分を否定しているのに、「愛欲は全て清浄なり」というような「愛欲は清らかなり」という考え方があったりします。
これは「産めよ、栄よ」を信条とするヒンドゥー教的な立場からすれば、当たり前の発想なのですが、その経文だけ読んで広められては困ると空海は考えて、断ったのだと言われています。
しかし、この一件で両者の溝は決定的となり、以後は絶縁状態になったとされています。
言ってみれば「意見の行き違い」なのですが、最澄としては年上で名声も得ていたので、「若造が、生意気だ。」くらいに思っていたのかも知れません。
いつの時代も、権力を持った年上上司と優秀な年下部下との微妙な関係は、あまり変わっていないようです。(笑)
