四面楚歌(しめんそか)とは、「周囲がすべて敵や反対者ばかりで、助けがなく孤立無援の状態にあること」を指す四字熟語です。
しかし、この言葉の由来を知っている方は少ないかも知れません。
紀元前202年、項羽は「垓下の戦い」で、韓信の「十面埋伏の計」に敗れ、約十万の軍がどんどん減っていき、最後は親衛隊だけになったところで、「四面楚歌」といわれるように、項羽の故郷である楚の歌が聞こえてきます。
実は、項羽を包囲した漢軍が歌っていただけなのですが、「楚も完全に陥落した」と思った項羽は「虞や虞や、汝を如何せん」と嘆きました。
虞美人を敵の手に落とすわけにはいかないので、自分で葬ったともいわれます。
その後、漢軍の包囲網から脱出した項羽と親衛隊は、追撃してきた漢軍に対し、何十回も突撃を繰り返し、あまりの強さに漢軍も恐れをなしました。
川のほとりの烏江亭という所まで逃げ延びた項羽は、宿場の長官から「楚の国に逃げて帰りなさい。身一つで逃げれば、まだ再起のチャンスもあるから、故郷に帰りなさい。」と言われますが、「ここまでの軍隊を失って、どんな顔で帰れるか。」と断ります。
そして、最後の戦いに臨み、とうとう自らの首を刎ねて散ったと言われてます。
この四面楚歌という言葉には、こうした壮絶な英雄の最期が刻まれていたのです。