過去の栄光

過去の栄光

自分の努力精進で道を切り拓いて方々には、武勇伝がつきものです。それは多くの人を勇気づけてくれるし、一つの悟りでもあると私は思っております。しかし、あまりにも過去の武勇伝ばかりを自慢し、前を向いて歩いて行かない人達を見ると悲しくもなってしまいます。私達は「今」この瞬間を生きています。過去に生きている訳でも、未来を生きている訳でもありません。過去は過去で過ぎ去ってしまった時間ですし、未来はまだどうなるか分からない時間です。沢山の武勇伝を持っていたとしても、未来の扉を開く為には、勇気を持って前を向いて自分の力で押し開けるしかありません。何故...
教養

教養

「教養を高めなさい」と小さい頃に大人達に言われましたが、その頃は教養の意味がよく分かりませんでした。「勉強ができるようになる事」くらいにしか考えていませんでしたが、実は学校の勉強と教養とは似ているけれど違う事に、大人になって漸く気が付きました。勉強が出来ても品性が無い人は、教養があるように思えません。逆に品性がある人は、教養があるように感じます。と言うことは、本当の意味で「教養を高める」「教養を身に付ける」とは「品性を創る」事なのではないかと私は考えました。入学が難しい大学や高校に入ることが、イコール「教養を身に付ける事」にならないよ...
分限

分限

自分の才能の分限を知ると言うことは、辛いことではあるけれど大事なことです。己自身の能力の限界を知ると言うことは「頑張れば、なんでも出来る」と言う言葉に反して、消極的に聞こえるかもしれません。でも、人間一人で出来ることは知れています。自分一人では出来ないことでも、多くの人達の協力が有れば成し遂げられないことはないでしょう。それこそが「自分の分限を知る」事の重要性なのだと思います。自分一人のお山の大将となり「何でも自分は独りで出来るんだ」と言う人ほど、本当に一人では何も出来ないと言うことを知りません。逆に己自身の限界を知っている者は、周り...
不修多羅

不修多羅

不修多羅(ふしだら)と読みますが、若い人ですと聞きなれない言葉かと思います。意味としては「品行方正でないさま。」言い換えてみれば「だらしがない。ケジメがない。ルールが守れない。」と言ったところでしょうか。ですので余り良い言葉では使われませんので、陰で「あの人ふしだらだね」と言われたら人間として低評価されたと言っても良いでしょう。しかしながら現代では「ふしだらな人」が増えているのも事実です。それは男女の関係ばかりでなく、会社とかの組織内においても言える事ではないでしょうか。あちこちにオベッカを使いゴマをする人。言っている事とやっている事...
冥冥之志

冥冥之志

冥冥之志(めいめいのこころざし)「他人に知られる事なく、ただ黙々と努力精進して行く」最近ではSNSが当たり前のようになり「私はこんな努力をしています。だからこんな良い結果が出ました。」的な事柄が当たり前のように、誰でも表に出せるようになりました。しかし昔から「鳴物人は遠くへは行けない」と言う言葉があるように「こんな凄いことを僕はやってます。」「私はこんなに凄いのよ。」と自慢する人達は、心の底から求める夢は掴めないようです。何故なら夢の途中で、周りの人たちから多くの嫉妬心を受けて潰されてしまうからです。本当の夢、本当に成し遂げたい志があ...