執筆者 西村 | 2024年09月13日 | カウンセリング
新しい事に挑戦したり、初めての人に出逢う時には、誰しもドキドキする事でしょう。そのドキドキは若い頃の方が大きかった気がします。歳を経る事に、ドキドキ感が薄れて行く感じがします。それは少し悲しい事ではありますが、それだけ人生の経験が増して、新しい事が少なくなっている証でもあるように思えます。人生何十年も生きていると、大抵のことは経験しておりますし、新しい事でも「初めて事だけれど、これは〇〇に似ているから、多分こう対処すれば大丈夫。」と推測がハズレなくなって来ます。こうしたことは経験による智慧ですが、この智慧も「誰もが歳をとったから同じよ...
執筆者 西村 | 2024年09月11日 | カウンセリング
「薫習(くんじゅう)」と習気(じっけ)とは同じような意味の言葉ですが、薫習と言うと「身体や心に染み付いて離れなくなった学びごと」と言う感じがして、もう一生忘れることはない技のように思えます。かたや習気と言うと「これからその薫習をして行く気持ち」みたいな感じかと思います。私達は初めて挑戦する事でも、習気を持って、薫習して行けば、どんな事でも自分のものになると言う事なのでしょう。でも最初から「どうせ自分には無理さ」とか「そんなに長い間、努力するのは嫌だ」と言う人には「習気」さえ起きずに終わってしまいます。先ずは「やってみよう!」と思う事が...
執筆者 西村 | 2024年09月10日 | 雑記帳
日本人に「日本国の事を一言で言って下さい」と質問されると、大抵の人は「言霊が幸(さき)あう国」と答えていた時代が長く続いておりました。「言霊によって幸せに栄える国」と言う意味ですが、もはやこの言葉を話す人も少なくなり、目にしたりする機会も減りました。私たちの国、日本は一万年以上も前から言葉を大切にして来た民族です。お祈りの時には祈言(いのりごと)、お願いをする時には願言(ねぎごと)と言って、言葉を神様に届ける行為をしておりました。その際に蝶や蜻蛉などの虫達が現れることを「吉兆」としました。何故なら虫達が自分達の祈りと願いを神様に伝えて...
執筆者 西村 | 2024年09月09日 | カウンセリング
よく「私は褒められて伸びるタイプだから褒めて下さい。」という人がいますが、私は少し違和感を感じてしまいます。褒められて伸びるのはあなただけではなく、多くの人がそうだから、敢えて言われる様な事では無いと思ってしまいます。逆に考えてみれば良いわけで「私は叱られて伸びるタイプだから叱って下さい。」と言う人が世界中にどれだけの人数がいるかと言ったら、圧倒的に少ないと想像が付くのではないかと思います。あなたの周りに、叱られて伸びるから叱って欲しいという人はいますでしょうか?少なくても60年以上生きて来ている私ですが、そんな人に出逢った事は一度も...
執筆者 西村 | 2024年09月06日 | 自分史
「またお逢いしましょうね」と言って別れてから、何年も何十年も会っていない方はいませんか?私には数えきれないほど、お逢い出来ていない方がおります。名刺の数も10,000枚近くなって来ると、2度目がお逢い出来ない人の方が多くなって来ている気もします。数年前に一度お逢いしたきりでお話も出来ていない人がいるという事実を想っただけで、一期一会の大切さを痛感します。中には既にこの世を去ってしまって、会いたくても、連絡を取りたくても、会えない、お話も出来ない人達もいらっしゃいます。そんな時に「目の前にいる方と、もう会えないかも知れない。」そう思いな...