不幸を愛している

不幸を愛している

「自分が不幸なのは自分の責任」そう思えないと、不幸という名の上着は脱ぎ捨てることができません。「不幸を愛しているなんて、そんな人はいやしない!」そう思う方がほとんどでしょう。でも、結構な割合で「不幸を愛している人」がいらっしゃいます。「もしかしたら、こんな事やあんな事が起きるかも…」と不幸の予言をしている人達が、あなたの周りにもいるはずです。いや寧ろ、「不幸を予言すること」が、当たり前の世の中になっているのかも知れません。「転ばぬ先の杖」と思って「最悪のことを考えていれば、何が起こってもそれより酷くなることはないから…」そう考えて、こ...
人間は幸福を目的とする

人間は幸福を目的とする

アリストテレスは「人間は幸福を目的とする」と言いましたが、幸福になる為には、色々な行動、言動、活動に対して、自由が与えられなければなりません。同じ様に、チャンスも平等に与えられなからば、幸福になる機会が偏ってしまいます。例えば、学校を選択する自由、意見を発表する自由、職業を選べる自由、どこへでも移動できる自由などがなければ、私達は籠の中の鳥達の様な、制限された自由とチャンスのみになってしまいます。当然、幸福も限られたものにならざるを得ないでしょう。チャンスが平等になされたら、その結果においても公平でなければいけません。「チャンスが平等...
欠点が幸福の種?

欠点が幸福の種?

誰にでも短所や欠点はあるものです。それをちゃんと認識している人は、ある意味で幸福かも知れません。「一病息災」と言う言葉の通り「身体に何か悪いところがある人は、身体を労わるので長生きする」と言う事が、実際にあるとお医者様から聞いたことがあります。同じように、自分の欠点や、弱点を30歳、40歳になっても意識している人は、あまり無理をしませんし、やはり成長の余地があります。悩みの種として、持っていることがいくつかあるかと思いますが、それはまた自分を励まし、育てる種でもあると考えた方が良いですね。例えば、60、70歳になっても「自分はまだ勉強...
幸福

幸福

「人生とは幸福になる為の冒険の道すじ」と言った方がいらっしゃいましたが、幸福とは探すものではなく、見つけるものだったのだと、この歳になって漸く気がつきました。「幸せの砂金」は色んなところに落ちていて、それを拾い集めることが人生ではないかと…そう思い始めております。「おいおい、今頃そんな事に気がついたのか?」と神様に笑われそうですが、幸せになろうとガムシャラに足掻いていると、60年生きていても分からないものなのですね。自分の幸せの為、家族の幸福のため、会社の発展のため…色々な理由をつけて私は生きてきましたが、いつも何処かに満たされない欲...
自分の気持ち

自分の気持ち

特に最近は「自分の気持ちを考え過ぎる」方が多い気がします。「自分はあの事で傷ついたのか」「自分は幸福なのか、不幸なのか」どうしても主語が「自分」や「私」になっている人たちが、自分の事を考え過ぎる傾向が強いようです。そう言う人ほど「自分」と言う主語を、周りの人たちに変えてみる事を私はお勧めしております。例えばご夫婦の関係で悩んでいる奥様に「私は不幸かも」と考える事を一旦辞めて貰い、代わりに「ご主人は不幸だと思っているのか否か」を考えて貰います。そうすると多くの奥様から「若しかしたら不幸だと思っているかも知れない」と言う答えが返ってきます...