愛と情熱

愛と情熱

「愛と情熱」どちらも燃え上がりそうなイメージがありますね。どちらも、その念いによって大きな炎の様になってしまうこともあります。その炎が時には良い結果を産む場合もあるし、時には周りの人達を焦がしてしまう時もあります。周りの人達に被害が及ぶ炎とは「派手さ」から来る様に思います。「派手さ」の行為の中には「自分への見返りを求める」想いがあるようです。「私はこんなに素晴らしい事をしています」「私は多くの人を幸せにしようとこんなに努力をしています」等と目立つようなパフォーマンスを繰り返すようになって行きます。でも本来の愛と情熱は別次元のところにあ...
他人

他人

「幸福も不幸も全ては人との関わりの中にある」と先人達は、同じような言葉をいくつも残しています。無人島に自分独りだけで暮らしていれば、他人との衝突もなく暮らしていけるのですが、幸福を感じる時は少ないでしょう。他の人がいて、共に語り合い、共に手を握り、共に愛し合うことができ、共に仕事や生活ができ、共に学ぶことができる…こうした事によって嬉しく思い、幸福に感じるように人間は創られているのかも知れません。幸福とは人と人の間にあるものなのでしょう。愛も人と人の間に生まれます。愛と幸福はよく似ていますね。...
たくさんの愛

たくさんの愛

昔は時々お金を拾った記憶があります。しかし、ここ何年はお金が落ちている事を見る事が少なくなったと感じているのは私だけでしょうか。「子供の頃のように下ばかり見ていないから」と言われればその通りなのですが、キャッシュレスの時代となり、お金自体がもしかしたら少なくなって来ているのかも知れません。「お金はグランドに転がっている」と昔の有名野球選手が言ってましたが、今も昔も変わらず、巷に落ちているのは「愛」なのかも知れないと、ふと思ってしまいました。w「今日はどんな人と出逢えるのだろう」「今日は素敵な言葉を伝えられるだろうか」「相手の方は喜んで...
愛と慈悲

愛と慈悲

愛と慈悲は同義語のように使われます。愛と慈悲は「他の人たちをより良くしようとする力」と言う点では良く似ていると皆様も思われることでしょう。ただ、その力の違いを敢えて言うとすると、愛は「仲間同士を引き合う力、共に手を携えて行こうとする力」と言う感じで、慈悲は「上から下へ流れていく力」と言えるかと思います。すなわち、「横の流れを愛と言い、縦の流れを慈悲と言うのだ。」と私は感じています。従って、神仏からの「絶対的な愛」は「慈悲」と言い、友達や男女の間で与えあう場合は「愛」となるのではないでしょうか。...
愛の反対は憎しみでは無く無関心

愛の反対は憎しみでは無く無関心

この言葉は1997年9月5日に87歳で亡くなられたマザー・テレサ修道師の御言です。学校や職場などでも行われている「無視」。この行為そのものが、愛からほど遠い行為であることが、この御言葉からも理解できます。誰にも話しかけられず、話しかけても無視される。「独りでいいさ。」と割り切って生きていたとしても心の奥で何とも言えない悲しみと苦しみが入り混じります。かく言う私も学生時代に「村八分」的な無視攻撃は経験しているので、その哀しみの深さが痛いほどわかります。せっかく同時代に同じ国に生まれ巡り合うことが出来たのに、他人に対して無関心で居ることは...