過ち

過ち

何十年も前の過去の過ちを未だに引き摺って生きている人達が意外に多いと言うことに、気付くのは私だけではないかと思います。岩に文字を刻むように、過去の思い出を残したところで、心の中が岩だらけになるだけです。それよりは、砂浜に書いた文字のように、いつかは波に消されてしまう…そんな憶えかたで良いのではないかと思います。特に過去の嫌な思い出は、反省すべきところを反省したならば、サラッと記憶から除外することはいけない事ではないでしょう。神様は私達に反省と言う消しゴムを与えて下さいました。想念帯に書かれた暗い出来事も、反省と言う消しゴムで消し去るこ...
悲しみ

悲しみ

人間生きていれば数多くの悲しみに出会います。悲しい出来事を好き好んで選ぶ人はいないかと思いますが、こちらが求めようと求めまいとやって来てしまうものです。悲しい出来事が起きた時に、大きく分けて二つの反応があるかと思います。一つは、悲しみに苦しみ悩み、自己憐憫に陥り、時には腹を立てて怒りをあらわにする人。もう一つは、どうしてこんなに悲しいのか内省し、自分を鍛えてくれる砥石のような存在だと捉え、自分の内側にある途方もない力に気付く人。悲しみに効用があるとするならば、後者の人のような気持ちに成らなければ、得られることはないでしょう。そして、悲...
落花流水

落花流水

「落花流水」流れる川面にハラハラと花弁が落ちます。花は落ちる場所を選べません。川はどこに花弁を運ぼうか決めてもいません。人の出逢いも、たまたま偶然が重なり合って美しい想い出が生まれます。人の自我やエゴ等とは関係なく、流れていく時間もあります。『こうしたい』『ああしたい』と自分の気持ちを優先するのではなく、互いの成り行きに身を任せる事も時には必要だと思います。でも、そうした瞬間にこそ、『美しい情景』が生まれる時があります。時の流れは人を引き裂くこともありますが、出会わせてくれる時もあります。そうした時にこそ、感謝と反省が自然に出来てくる...
命

「命と、命が無くなる境ってなんだろう?」と考えたことはございますか?生と死と言うことではなくて「これは命があると言えるけれど、これは命が無いと言える」と言う、明確な定義と言うか、境界線を答えられる人がいらっしゃるようでしたらお聞きしたいと常々思っておりました。私達のように「動き考えるモノ」を「命がある」と言い、動かない鉱物は命が無いというのでしょうか。鉱物であっても定点カメラで何百年何千年と撮影すれば、変化はきっとある筈です。「その変化は外部環境から与えられたものだから動いたということではない。自ら動いたわけではなく、動かされたので自...
人の一生

人の一生

人の一生は水から始まり、水で終わります。私たちは誰でも、生まれてくる前にお母さんのお腹の中の羊水で過ごします。羊水の成分は海水によく似ています。その羊水の中で最初はえら呼吸して、人間へと成長して行きます。まるで進化の過程を辿るように、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと成長して行きます。また日本では亡くなる時には「末期の水」と言って、菊の葉や綿に水を含ませて、亡くなった方の口元を湿らせます。このしきたりには「なんとかもう一度、この命の水で生命を蘇らせて欲しい。」という切なる願いが込められているそうです。そっと水を口元に与えることで、水の...