執筆者 西村 | 2023年05月26日 | 感謝の会, 自分史
侍たちは、いつこの世を去るか分からないから辞世の句を用意していたと言います。侍ではないですが、私もそろそろそういう歳になったのかと実感してきました。wしかしなかなか考えが纏まらないですね…自分の人生を振り返って、短い句で表現するのは至難の業です。そう考えると昔のお侍さんは余程肝が据わっていたのでしょう。死を直前にして考えるどころか頭が真っ白になってしまいます。身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置きまし 大和魂 <吉田松陰>極楽も 地獄も先は...
執筆者 西村 | 2023年05月24日 | 感謝の会, 雑記帳
どんなに健康な人も、どんなに財産や地位がある方でも、必ずいつかはこの世を去ります。大抵の人達は、その去る日が分からないから、永遠に生き続けるつもりで生きています。今日があって、明日もあると確信して生きています。しかし突然の身近な人の死によって「死」を想い出します。中には「死にたくない」と考え、様々な事にお金をかける方もいらっしゃいます。そう言う意味では執着の最たるものは「死にたくない」と言う悪あがきなのかも知れません。「じゃあ生に執着する事は悪い事なのか?」と言われそうですが、もし生への執着がない事が真理であるならば、自殺こそ「執着を...
執筆者 西村 | 2023年05月23日 | 感謝の会
最近は余り耳にしなくなりましたが、私はおばあちゃん子だったので「そんな事をしていると地獄に落ちて閻魔大王さまに舌を抜かれるよ」と良く言われたものです。そうしたおばあちゃんの言葉が自分を律する上で、とても役に立ったと私は思っています。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではないですが、地獄に落ちる人は、なにも法律を犯した人達ばかりではなく、地位も名誉も財産も関係なく、ただこの世において「反省と感謝」が出来なかった人達が行っているとおばあちゃんは教えてくれました。だから彼女は「大人になっても、ありがとうとごめんねが言えないようならば、本当の意味で偉く...
執筆者 西村 | 2023年05月18日 | 感謝の会
最近テレビの宣伝でもやっているゲームアプリのことを伝えたい訳ではありません。メメントモリとはラテン語で「いつかは訪れる死を忘れることなかれ」と言う意味です。悲しい事ですが、どんな人にも死は訪れます。それも突然にやってくる場合があります。死は誰にも平等にやってくる以上、月日の違いはあれど仕方がないことでもあります。「だから好きなことをやってやる!」と言う人もいる事でしょう。でも「何故死ななければならないのに生まれて来たのか?」を考えた時に、ただ自分の好き勝手をやっただけの人生で本当に良いのでしょうか?他人に迷惑を掛けない人生であれば素晴...
執筆者 西村 | 2023年05月03日 | 感謝の会
自分と言う肉体存在を考えただけでも、膨大な数の御先祖様が関わって生まれて来ている事が分かります。ご自身の先祖20代前まで遡れば、ご先祖さまは全員で約100万人となります。奇跡の連続で私たちと言う人間は存在している訳です。何処かのご先祖さまが結婚しなくて、その子供が生まれなくて…それだけでも、もしかしたら自分と言う肉体はない訳ですから、「ご先祖さまを大切に思う気持ち」は「自分と言う存在を大切に思う気持ち」とイコールであることが理解出来ます。自分の身体は自分のものであって、自分だけのものではないのですね。...