執筆者 西村 | 2022年12月22日 | 自分史, 雑記帳
ソクラテスは「無知の知」を説いていました。「自分は何も知らないという事を知っている。」という事ですが、最近は学者、言論人、メディア関係者でなくても、自分の思いをネット等で自由に発信できるようになりました。その為今までは「個人対個人」であった情報発信も「個人対社会全体」となり、より危険性が増したと言えるでしょう。例えば、ネットであったこともない人の事を悪く言う、有名人や著名人を誹謗中傷する、ウソの情報を拡散して喜ぶ・・・「真理」「善」「美」に合致した言論発信ならば、世の中を成長させることに貢献しそうですが、そうでない場合は「川の中に毒を...
執筆者 西村 | 2022年12月21日 | 感謝の会, 自分史
世の中を見渡すと、欲深い人ほどイライラしているようです。欲と怒りは同等のものなのでしょうか?どんなに食べても食べてもその食欲が治まらないさまを「貪欲」と言いますが、それは性欲、睡眠欲、物欲にも使われます。程よい欲ならば成長に繋がりますが、「他人のものを奪ってまで自分の欲を満たす」となると社会悪になりかねません。また「怒り」の感情によって、不必要に他人を言動で傷つけたり、家族生活を困難におとしめたり、組織の調和を乱したりすることがあります。そうなるともはや「怒り」という感情自体が、一種の「公害」と同じとなります。もしゴミを出し続けている...
執筆者 西村 | 2022年12月20日 | 自分史, 雑記帳
美味しそうな中華料理を前に、5人の男女が円卓を囲んでいました。彼らの前には1メートルはあろうかと思われる長い箸🥢が置いてあります。「こんな長い箸じゃ、食べる事が出来ないじゃないか!」と太ったオジサンが言いました。「まったくだ。ここの店は何を考えているんだか!ダメだな、この店は!」とスーツを着た男の人も御立腹です。暫くして若い女性が「この箸じゃあ自分で料理を自分の口に持って行くことは出来ないけれど、いい方法があるわ。」と言って、長い箸を持ち、シュウマイをひとつまみ。そのシュウマイを、先程から怒っているオジサンの口元に持っ...
執筆者 西村 | 2022年12月19日 | 雑記帳
皆さまも聞いたことはあるだろうお経として「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」「般若心経」などがあるかと思います。でもこれらの内容、意味はご存知でしょうか?「南無妙法蓮華経」は簡単に言うと「蓮華経に帰依します」という意味になります。じゃあ「蓮華経」は?「汚い泥水の中でも綺麗な花を咲かせる蓮華のように、あなたも環境のせいにしたりしないで、自分自身の美しい花を咲かせましょう」と言うお経です。あわせて「南無妙法蓮華経」は「お釈迦様が説かれた蓮華経を信じます」と言う内容となります。「南無阿弥陀」の「阿弥陀」とは、お釈迦様の「救いの面」「慈悲の面」...
執筆者 西村 | 2022年12月18日 | 自分史, 雑記帳
最近ではあまり使わなくなった言葉「天国と地獄」あるとか無いとかのお話をしても良いのですが、それよりも「もし地獄があったとしたら、そこにいる人達はそれを地獄と感じているだろうか?」と言う疑問です。よく「地獄のような職場だ」「地獄のような特訓を受けた」とか言いますが、そもそもどんな劣悪な環境にあったとしても、その人がその場所が「住み心地が良い。働き心地が良い。」と感じれば、その人にとっては天国なのかも知れません。即ち「側から見れば地獄のような所だけれど、その人にとっては天国である。」と思っている場合もあると言うことです。本当は天国、地獄は...