執筆者 西村 | 2025年02月13日 | 老化
日本では、65歳以上を高齢者と定義しています。既に人口の約三割は高齢者となっている現状です。そのうち65~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と区別しています。こうした超高齢化社会を迎えようとする中、介護者の求人は多いのですが、求職者が少ないと言うのが現実でもあります。今では「高齢者が高齢者を介護する」老老介護が多くなって来ております。その中の三割以上が、要介護者と介護者の年齢が共に75歳以上の後期高齢者同士となっています。お互いに身体を労われる歳になっていながら、支え、支えられていると言う現状です。この人口ピラミッドを変えて行...
執筆者 西村 | 2025年02月08日 | 本当の終活
生きる事と死ぬ事は本来セットの筈なのに「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」「死んでも命がありますように」と、生きることのみが謳歌されてきました。その為、死に対する知識や想いが親から子に伝わらず、自殺したり「誰でも良いから人を殺したかった」などと言う輩が沢山出てくるようになりました。人生を本当の意味で生き切るには「死の知識」が、どうしても必要ではないでしょうか。最近では「死」と言う言葉も「自殺」と言う言葉も、YouTube等では表示出来なくなったりしています。確かに悪意を持った「死」と言う言葉は毒になる事でしょう。しかし「真剣に...
執筆者 西村 | 2025年02月01日 | 本当の終活
「自然死」を勧める中村仁一先生は、現場で頑張っておられるお医者さんであるからこそ、このように仰っておられます。「死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。何故なら、いかに生きるのか、いかに死ぬのかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではないからです。医者は医学の勉強をして医師免許を持っています。しかし特別に人生勉強をして来た訳ではありませんし、人生修行もしていません。また、さしたる人生経験もありません。そんな医者に、如何に死ぬかと言う、難しい人生問題を突きつけるのは可哀想すぎます。医者には荷が重すぎて逃げ回ることしか出来ま...
執筆者 西村 | 2025年01月30日 | 自分史
アンドレ・ジッドの「狭き門」には「力を尽くして狭き門より入れ」と言う言葉があります。「広い門から入る人は沢山いるが、それは滅びに至る門である。狭き門より入った者のみが、永遠の生命を得る」と書かれています。「狭き門」と言う言葉は、大学入試や高校入試に使われることが多いのですが「力を尽くして狭き門から入らなければならない」と言ういみには解釈していませんでした。「なかなか入る事を許されない門だから、入れたらエリートになれる」そんな気持ちで、当時は捉えていたように思います。ひと様の多くが「長いモノには巻かれろ」とか、そうでなければ、自分に利益...
執筆者 西村 | 2025年01月27日 | カウンセリング
「自分という存在が分からなくて、人は人生を彷徨って生きている」と言う表現をする作家や小説家、有名著名人がいるという事は、私たちは自分という存在を、なかなか明確に把握出来ていないのかも知れません。それ故に、血液型占いや動物占い、四柱推命や占星術などの統計学から生まれた「枠にはめる」ものにハマりやすいのでしょう。しかし、本来は全く同じ人間がこの世に存在しないことを自覚しているのも、また自分自身なのです。もし心身共に全く同じ人間が地球上にいたら、同時に複数のことを経験して、複数の行動をとる事ができ、その感覚を共有出来るはずです。でも実際は、...