生死一如

生死一如

生きる事と死ぬ事は本来セットの筈なのに「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」「死んでも命がありますように」と、生きることのみが謳歌されてきました。その為、死に対する知識や想いが親から子に伝わらず、自殺したり「誰でも良いから人を殺したかった」などと言う輩が沢山出てくるようになりました。人生を本当の意味で生き切るには「死の知識」が、どうしても必要ではないでしょうか。最近では「死」と言う言葉も「自殺」と言う言葉も、YouTube等では表示出来なくなったりしています。確かに悪意を持った「死」と言う言葉は毒になる事でしょう。しかし「真剣に...
最期の医者

最期の医者

「自然死」を勧める中村仁一先生は、現場で頑張っておられるお医者さんであるからこそ、このように仰っておられます。「死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。何故なら、いかに生きるのか、いかに死ぬのかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではないからです。医者は医学の勉強をして医師免許を持っています。しかし特別に人生勉強をして来た訳ではありませんし、人生修行もしていません。また、さしたる人生経験もありません。そんな医者に、如何に死ぬかと言う、難しい人生問題を突きつけるのは可哀想すぎます。医者には荷が重すぎて逃げ回ることしか出来ま...
狭き門

狭き門

アンドレ・ジッドの「狭き門」には「力を尽くして狭き門より入れ」と言う言葉があります。「広い門から入る人は沢山いるが、それは滅びに至る門である。狭き門より入った者のみが、永遠の生命を得る」と書かれています。「狭き門」と言う言葉は、大学入試や高校入試に使われることが多いのですが「力を尽くして狭き門から入らなければならない」と言ういみには解釈していませんでした。「なかなか入る事を許されない門だから、入れたらエリートになれる」そんな気持ちで、当時は捉えていたように思います。ひと様の多くが「長いモノには巻かれろ」とか、そうでなければ、自分に利益...
自分は何者か?

自分は何者か?

「自分という存在が分からなくて、人は人生を彷徨って生きている」と言う表現をする作家や小説家、有名著名人がいるという事は、私たちは自分という存在を、なかなか明確に把握出来ていないのかも知れません。それ故に、血液型占いや動物占い、四柱推命や占星術などの統計学から生まれた「枠にはめる」ものにハマりやすいのでしょう。しかし、本来は全く同じ人間がこの世に存在しないことを自覚しているのも、また自分自身なのです。もし心身共に全く同じ人間が地球上にいたら、同時に複数のことを経験して、複数の行動をとる事ができ、その感覚を共有出来るはずです。でも実際は、...
鍛錬

鍛錬

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とは宮本武蔵の著書である「五輪の書」に記された言葉です。ここから鍛錬という言葉生まれました。「千日程度の稽古では鍛えたと言うことにしかならない。万日続けて、ようやく鍛錬したと言える。」と言うのだから剣の道は厳しいものです。100歳近く生きたとしても3万日程度しか生きられないのですから、人生の3分の1程度を同じ道で極めなければ、錬士とは言えないと言うことです。人生においても同じように、精神を鍛錬したと言っても、せいぜい二十年では一万日にも届きません。成人してから三十年近くの年月を費やし、ようやく...