執筆者 西村 | 2025年01月23日 | 雑記帳
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とは宮本武蔵の著書である「五輪の書」に記された言葉です。ここから鍛錬という言葉生まれました。「千日程度の稽古では鍛えたと言うことにしかならない。万日続けて、ようやく鍛錬したと言える。」と言うのだから剣の道は厳しいものです。100歳近く生きたとしても3万日程度しか生きられないのですから、人生の3分の1程度を同じ道で極めなければ、錬士とは言えないと言うことです。人生においても同じように、精神を鍛錬したと言っても、せいぜい二十年では一万日にも届きません。成人してから三十年近くの年月を費やし、ようやく...
執筆者 西村 | 2025年01月20日 | 老化
「今や癌は2人に1人が罹り、3人に1人は死ぬ病気」と言われますが、正しい統計なのかも知れませんが、脅し文句にしか感じないのは、私だけでしょうか。癌も身体の老化の一つですから、高齢化が進めば進むほど、癌で死ぬ方も増えるのは自然の摂理なのかもしれません。また新聞にも載りましたが「健康人の身体の中でも毎日約5,000個の細胞が癌化している。しかし、それを自分の身体の中にある免疫細胞が退治してくれるから増殖しない。こうした免疫の重要な役割を知らない人が7割もいる。」とも言われています。癌は身体の中に発生した、命令に従わない、勝手に増殖する異分...
執筆者 西村 | 2025年01月17日 | 本当の終活
「看取り」には「看取られる」場合と「看取らせる」場合があります。本来は年寄りの役割は「自然死」を家族に「看取らせる」ことにあるかと思います。「看取らせる」と言う言葉には、強制的な意味合いが含まれている感じがしますが、そこには大きな愛がある様に思います。「こうして年老いて自然に枯れてゆく自分の姿を、子や孫達に見て死と言うものを学んで欲しい。いずれは自分も死ぬことになるのだから」と言う想いもあるでしょう。また「最期に逝く時には、大切に想って来た家族に見守って逝きたい」と言う願望もあるでしょう。ですので「看取らせる」場合は、本人の決心、希望...
執筆者 西村 | 2025年01月05日 | 生前葬(感謝の会), 老化
フランスでは、老人医療の基本は「本人が自力で食事を嚥下出来なくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です。」と言われているそうです。残される人達が「自分たちの感情や別れる辛さの軽減のため、あるいは自己満足の為に、死にゆく人間に余計な負担を強い、無用な苦痛を味わせては行けない。」という考え方からでしょう。自分の年齢が還暦前後になれば、親も80歳を超えていく世代の方が多くなります。60歳を超えた自分たちであっても、昔ならば死んでもおかしくない年齢に達しているのに、親が死ぬことに関しては意識していないと言うのはさもありなん...
執筆者 西村 | 2024年12月30日 | 自分史
私は小さい頃はイタズラ好きで、良く周りの大人たちを困らせていました。落とし穴を作ったり、スカートめくりは日常茶飯事で、小学校時には学校の池の鯉や金魚を全て釣り上げて、池の周りに並べて「〇〇小学校の魚屋さん」を開業して、校長先生からシコタマ怒られたりしました。また今となっては時効?かと思いますが、近所の家々のガラスを何枚も石を投げつけて割ったりした事もありました。とんでもない悪ガキだったと自分でも思います。(笑)そんなどうしようもない腐ったミカンであった私も、信仰心がある優しい母と、誰とでも直ぐに仲良くなれる社交的な父の教育もあって、中...