あるネズミが、米粒でいっぱいの壺の中に落とされました。
その壺は米粒でいっぱいだから、逃げようと思えば、直ぐに壺から脱出が出来ました。
しかしネズミは、食料である米がいっぱいある壺から逃げようとしませんでした。
「毎日食べ物を探さなくても生きて行けるなんて、ここはなんてイイところなんだ。」
こうしてネズミは壺の中で暮らすようになりました。
毎日毎日米粒を食べながら、のんびり暮らしていきました。
ただ心配だったのは、米を食べれば食べるほど、自分のいる場所が壺の口から遠ざかって行くことくらいでした。
でも「逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出せるさ。」そう思って、ネズミは米を食べてお気楽に生きていました。
米が最後の一粒になった時、ネズミは自分が壺から手が出せない高さまでなっていることにようやく気が付きました…
この例え話は、私たちにたくさんの示唆を投げつけています。
「安住を求めることは良いことだけれど、それに胡座をかいていると、人生の最後に窮地に堕とされる。」という事もその一つです。
「自分はまだ若いから大丈夫」「健康だからやって行ける」「時間はたっぷりあるから楽してやろう」そう思って生きていると、壺の中の米粒(若さ、健康、時間)はあっという間に減っていってしまうのです。
「この会社に入っていれば老後も安心」「この伴侶といれば、最後まで困ることはない」「資産はいっぱいあるから大丈夫」「なにしろ私は若くて健康だから」そう思っていようといまいと、米粒は確実に時間経過とともに減っていきます。
また、楽な暮らしと決別することを意味する「壺からの脱出」を怖がっていると、「最後は悲しい結末になる事もある」という事も教えてくれています。
壺から出る勇気を失い、自立心がなくなった時、誰でもこのネズミと一緒になってしまいます。
「何かを与えられなくなったとしても、自分の力で何とか生きてやる。」
そんな気概を忘れないように心掛けていれば、この壺の中のネズミのようには決してならないでしょう。