「私はありのままを見ています。」と人はよく言っていますが、大半の人は「色眼鏡」で見ているのが現状です。
高学歴な人は、学校の名前で判断していることが多いし、お金持ちの人は、その人がどれだけの資産を持っていそうかで、判断したりします。
また車好きな人は、その人がどんな車に乗っているのかで、その人を見定めたり、容姿に自信がある人は、美醜で人を比べたりします。
人は同じように目には映っているように感じますが、心を通してその画像を見ているので、知らず知らずのうちに自分の「心の眼」を通して、人を評価していることに気が付かないのです。
「白紙の目で見る」ことの難しさを、仏教では「如実知見」という言葉で表していました。
如実知見(そのまま、ありのままに見る)ということは難しいからこそ、修行の大切な項目としてあげられているのでしょう。
「正見」(正しく人を見る)は、他人を正しく見極めることもさることながら、自分をしっかりと診ることが出来なければ、「正見ができた」とは言えないから、一生の修行にもなるのです。
