西田哲学

西田哲学

西田幾多郎氏のことをご存知の方は、日本人あってもかなり少ないと思われます。「善の研究」という著書がありますが、夏目漱石の「こころ」という小説の舞台となった時代の頃に書かれた哲学書です。西田幾多郎氏は「純粋経験」という概念を創り出し、真理に踏み込みました。「純粋経験」とは何かというと、「西洋的な個人主義に押し流されていく流れの中で、故人がみな自我を発揮して、自己実現に励んでいくだけが、近代あるいは現代の原理としての思想のあり方ではない。あくまでも個人というものはあるけれど、個人と呼ぶような個人があって経験し、思想が出来るのではなく、経験...
ダンテ「神曲」

ダンテ「神曲」

ダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」は、数字と幾何学的要素が盛り込まれた、神秘的な詩篇でもあります。3や7、100という数字を、詩の行数の中に込めていたり、円周の比である22:7を使用したりしています。例えば「神曲」は「地獄編」「煉獄編」「天国編」の三部構成になっていますし、詩行は全て3行からなっています。ダンテは、詩人ではなく意外なことに政治家でしたが、政敵に追いやられ、自分の政治的な基盤地であるフィレンツェを追い出され、苦難の中に身を置きます。そうした中で、17年に渡って書かれた「神曲」は地獄編の中において、自分の苦難困難に対する...
知を求めるという事は「死の練習」

知を求めるという事は「死の練習」

ソクラテスが『パイドン』の中で「知を求めると言うことは『死の練習』である」と語っていますが、これはなかなか理解し難い事であると思います。私は「今日死んだとして、悔いの無い生き方をしているかどうか、自問自答して生きろ」と言われている様な気がします。すなわち「あなたは今日死んだとしても『今までの人生を完全燃焼した』と言えるか。『今日一日、十分に使い尽くせた』と言えるのか?」と問われているのだと思います。「死の練習」すなわち「死んだとして、どうだ?」と言うことを自分に問い続けると言うこと、それが結局、真理を求めた生き方になるわけであり、「死...
宗教と心理学

宗教と心理学

哲学や心理学は、どちらかと言うと宗教を否定する側に立っているようです。特にロックやルソー、カントが活躍した1,700年代くらいには、近代思想の中に「神の存在を否定する思想」が生まれ拡がっていたように思えます。世界的にも人口が増えて、社会全体のインフラも発展して、生活のレベルが中世以前よりも良くなり、病気で亡くなる人達が減ったことを見れば、合理思想や啓蒙思想自体は人類が数多く、より幸福に生きる為には寄与した面もあったかも知れません。学問、教育のシステム化も、教科書やマニュアルで様々な先生から教えられることによって、拡大生産的に認識力のあ...
入棺体験会

入棺体験会

先日の2月15日に「人生を楽しくする為の本当の終活」と言うテーマで入棺体験会&パネルディスカッションを行わせていただきました!埼玉、東京、神奈川、愛知の静岡県外からも、お越しいただき、心から御礼申し上げます。その模様の一部を編集しましたので、ご興味がある方は是非ご覧になってみて下さい♪https://youtu.be/0A7oKlTpyd4「すんてれ」さんにも取材いただきましたので、来月には、そちらでもご覧いただけるかと思います!入棺体験では、多くの方が清々しい涙を流されておられました。「まだまだ生きて行かなければならないと...